5年ぶりにブログ書きます。
2020年4月29日に、盲導繁殖犬のイルームは8歳になりました。誕生日の2日前に、一日起き上がれないという事態が起きました。突然のことで驚きましたが、1日安静にさせて歩けるようになり安心しました。(詳細は別記します。)
5年ぶりにこのブログにログインをして書き残しておこうと思ったのは、シニア期に入ったイルームの日々の様子を少しでも書き残しておこうと思ったからです。ラブラドールの平均寿命は13年くらいと言われています。最近では15、16歳まで生きるケースを珍しくないそうです。それでも、半分の折り返し時点なのだと実感した出来事でした。
イルームの口の周りには白い物も増えました。散歩も1日30kmしていた頃が遠い昔に感じられます。今では、散歩を断ることもあります😅
そういう私も52歳。イルームと程々の暮らしを楽しんで生きたいですね。
盲導犬の繁殖犬(♂)ボランティアをしています。 ブラックラブラドールのイルームは、パピー時代を我が家で過ごし、6か月盲導犬センターで訓練を受けたのち、繁殖犬になり、我が家に戻ってきました。 イルームが健康で恰好いいスタッドであり続け、沢山の盲導犬パピーを世に送り出すお手伝いをしています。
2020年5月14日木曜日
2016年2月18日木曜日
ミャンマー旅行(2)
ミャンマーの今後の経済発展も興味があるところだが、仏教国としてのミャンマーにも興味があった。実のところ、観光は仏教関連のものしかないのですが。
連日、寺、仏像、仏塔の繰り返しです。
仏教に全く興味がない人には辛い旅でしょう。
ミャンマーの仏教は、小乗仏教です。
小乗仏教という呼び方は、大乗仏教からの軽視した呼び方とも言われており、最近では上座仏教とか、テーラーワーダ仏教とか呼ばれているそうです。ミャンマーのガイドに聞いたら、別に気にしていないということでしたが。3人のガイドに、日本の仏教について聞いてみましたが、「大乗仏教なので、別物です。」と、同様の回答が帰ってきました。
彼らにとっての仏教は、もっと生活に密着したものです。人生が仏教の枠組みで流れているようにも感じました。子供が生まれるとなるべく早く出家させるそうです。出家といっても1週間ほどのプチ出家です。親元を離れ、 昼の12時から朝の4時半までは、食事をしてはいけないという団体生活を5歳くらいの子が行います。出家させるために、親は1年分の所得を費やしたりするそうです。ゴータマ・シッダールタが、出家した時のように、馬に乗せて、村中の人に食事を振る舞いと、盛大にするそうです。
子供が小さいうちに出家させるのは、子供の死亡率が高いこともあるそうです。死ぬ前に、少しでも徳を積ませておいて、もし死んでも来世はその徳で、少しでもよく生まれ変わって欲しいという親心ですね。
2回目の出家は18歳の時で、この時に、僧侶になるかどうかを決めるそうですが、96%は、在家を求めるそうです。全ての快楽を断ち切る生活を18歳でするのは、難しいと思います。50歳くらいで、強制出家があれば、そのまま僧侶になる人は増えると思いますが、そんな定年僧侶を支えるとなると在家の布施は大変なことになるでしょうね。
僧侶の生活では戒律が守られています。
結婚もしませんし、お酒も飲みません。
お金にも直接ふれないそうです。
在家になり変わって、厳しい戒律のなかで徳を積み、
在家は、布施をすることによって、徳を積む。
子供の僧侶が、お寺で座禅をしていました。
すでに何かを悟ったようなオーラがありました。
そんな横で、日本からきた坊主の団体が、ディナーショーで、酒を飲みながら、大声で笑い、バンドや踊り子にチップを渡している姿をみて、恥ずかしく、腹立たしく感じました。
連日、寺、仏像、仏塔の繰り返しです。
仏教に全く興味がない人には辛い旅でしょう。
ミャンマーの仏教は、小乗仏教です。
小乗仏教という呼び方は、大乗仏教からの軽視した呼び方とも言われており、最近では上座仏教とか、テーラーワーダ仏教とか呼ばれているそうです。ミャンマーのガイドに聞いたら、別に気にしていないということでしたが。3人のガイドに、日本の仏教について聞いてみましたが、「大乗仏教なので、別物です。」と、同様の回答が帰ってきました。
彼らにとっての仏教は、もっと生活に密着したものです。人生が仏教の枠組みで流れているようにも感じました。子供が生まれるとなるべく早く出家させるそうです。出家といっても1週間ほどのプチ出家です。親元を離れ、 昼の12時から朝の4時半までは、食事をしてはいけないという団体生活を5歳くらいの子が行います。出家させるために、親は1年分の所得を費やしたりするそうです。ゴータマ・シッダールタが、出家した時のように、馬に乗せて、村中の人に食事を振る舞いと、盛大にするそうです。
子供が小さいうちに出家させるのは、子供の死亡率が高いこともあるそうです。死ぬ前に、少しでも徳を積ませておいて、もし死んでも来世はその徳で、少しでもよく生まれ変わって欲しいという親心ですね。
2回目の出家は18歳の時で、この時に、僧侶になるかどうかを決めるそうですが、96%は、在家を求めるそうです。全ての快楽を断ち切る生活を18歳でするのは、難しいと思います。50歳くらいで、強制出家があれば、そのまま僧侶になる人は増えると思いますが、そんな定年僧侶を支えるとなると在家の布施は大変なことになるでしょうね。
僧侶の生活では戒律が守られています。結婚もしませんし、お酒も飲みません。
お金にも直接ふれないそうです。
在家になり変わって、厳しい戒律のなかで徳を積み、
在家は、布施をすることによって、徳を積む。
子供の僧侶が、お寺で座禅をしていました。
すでに何かを悟ったようなオーラがありました。
そんな横で、日本からきた坊主の団体が、ディナーショーで、酒を飲みながら、大声で笑い、バンドや踊り子にチップを渡している姿をみて、恥ずかしく、腹立たしく感じました。
2016年2月13日土曜日
ミャンマー旅行(1)
ミャンマー旅行に行ってきました。
会社の会長と部長と3人で。3人で海外は、フィラデルフィア以来になり、もう10年は経っているかもしれません。
3人とは、20年以上の付き合いになりますが、3人で写真を撮ったのは今回がはじめてで、良い思い出になるでしょう。
ミャンマーを選んだのは、急速な経済発展があると予想しており、その前に見ておきた買ったからです。ビルも少なく、人々も大半が民族衣装で、日本や韓国で使われていたバスがそのまま走ってます。



ミャンマーが急速に変わろうとするきっかけはやはりアウンサンスーチーさんでしょう。彼女のお父さんアウンサン将軍は、独立の父と呼ばれ、今で国民の尊敬を集めている。スーチーさんは、父の血を引き継いでおり、数ヶ月前まで、家に監禁されて ました。湖のほとりで、大きな屋敷でしたが、軟禁となると苦しいでしょう。その家の前で、一枚撮った写真です。

アウンサン・スーチーさんは、軍の勢力と折り合いをつけながら民主化を成し遂げなくてはいけないようですが、お兄さんが軍の勢力と組んで邪魔しているそうです。なので、スーチーさんは、お兄さんにアメリカやイギリスに大きな家を買ってあげて、ミャンマーでもバカンの河のほとりに大きな屋敷を買ってあげたそうです。iPhoneでは遠すぎて写真をとれませんでしたが、その家から見える夕日の写真です。

ミャンマーは、日本の面積の1.8倍で 、人口は約5,000万人。土地は、平地が多く、海もあり、大きな河もあり、輸送の観点からは良い土地柄です。また、石油や天然ガスもあり、農業も盛んで、自給自足ができる国です。国民は、上座仏教徒で争いを好まねい優しい国民性で、今のところ民族衣装をまとい、外食は好まず、足を知る生き方を実践しているようです。掃除もしっかりしているので、路端のゴミもないことから、モラルもしっかりしていると思います。あらゆる面から、希望のある国だと感じました。
逆に、国を開放することによって、貧富の差がでてくることにより、住みにくい国にならないかが懸念です。
会社の会長と部長と3人で。3人で海外は、フィラデルフィア以来になり、もう10年は経っているかもしれません。
3人とは、20年以上の付き合いになりますが、3人で写真を撮ったのは今回がはじめてで、良い思い出になるでしょう。
ミャンマーを選んだのは、急速な経済発展があると予想しており、その前に見ておきた買ったからです。ビルも少なく、人々も大半が民族衣装で、日本や韓国で使われていたバスがそのまま走ってます。



ミャンマーが急速に変わろうとするきっかけはやはりアウンサンスーチーさんでしょう。彼女のお父さんアウンサン将軍は、独立の父と呼ばれ、今で国民の尊敬を集めている。スーチーさんは、父の血を引き継いでおり、数ヶ月前まで、家に監禁されて ました。湖のほとりで、大きな屋敷でしたが、軟禁となると苦しいでしょう。その家の前で、一枚撮った写真です。

アウンサン・スーチーさんは、軍の勢力と折り合いをつけながら民主化を成し遂げなくてはいけないようですが、お兄さんが軍の勢力と組んで邪魔しているそうです。なので、スーチーさんは、お兄さんにアメリカやイギリスに大きな家を買ってあげて、ミャンマーでもバカンの河のほとりに大きな屋敷を買ってあげたそうです。iPhoneでは遠すぎて写真をとれませんでしたが、その家から見える夕日の写真です。

ミャンマーは、日本の面積の1.8倍で 、人口は約5,000万人。土地は、平地が多く、海もあり、大きな河もあり、輸送の観点からは良い土地柄です。また、石油や天然ガスもあり、農業も盛んで、自給自足ができる国です。国民は、上座仏教徒で争いを好まねい優しい国民性で、今のところ民族衣装をまとい、外食は好まず、足を知る生き方を実践しているようです。掃除もしっかりしているので、路端のゴミもないことから、モラルもしっかりしていると思います。あらゆる面から、希望のある国だと感じました。
逆に、国を開放することによって、貧富の差がでてくることにより、住みにくい国にならないかが懸念です。
2015年10月21日水曜日
墓を開けてみました
再来週、父の49日の法事を終えたあと、納骨をします。
先祖代々のお墓があるので、そちらを開けて納骨する必要があります。
お通夜、法事と家族葬で進めてきており、できる限り葬儀屋を通さず家族の手で進めようとしています。
ので、納骨も自分でやろうかと。
今まで、お墓を開けるなんて全くのタブーでした。
どうも、気持ちが悪いというか、不敬な感じがしました。
今朝お墓に行き、しばらくお墓の前で、YouTubeなどで納骨の仕方など検索し、「結構皆さん自分でやってるじゃん」と勇気付けられたので、決心して開けてみることにしました。当家のお墓は、ちょっと違い、お墓の前の重い石板を動かし、お墓のしたに大きな穴があるというもので、検索したのとは勝手がちがいました。
いくつか骨壷があり、思わず「ごめんね」と声に出してしまいました。
考えてみれば、検索でみたのは新しいお墓だったので、もうすでに骨壷があるケースがあったのかどうかは、後の祭りです。
ただ、一度開けてみると、「何だ、こんなものか」という感じで、
タブー視する必要なんかないなと、思えました。
これで、石屋を呼ばないだけでも、数万円セーブです。
先祖代々のお墓があるので、そちらを開けて納骨する必要があります。
お通夜、法事と家族葬で進めてきており、できる限り葬儀屋を通さず家族の手で進めようとしています。
ので、納骨も自分でやろうかと。
今まで、お墓を開けるなんて全くのタブーでした。
どうも、気持ちが悪いというか、不敬な感じがしました。
今朝お墓に行き、しばらくお墓の前で、YouTubeなどで納骨の仕方など検索し、「結構皆さん自分でやってるじゃん」と勇気付けられたので、決心して開けてみることにしました。当家のお墓は、ちょっと違い、お墓の前の重い石板を動かし、お墓のしたに大きな穴があるというもので、検索したのとは勝手がちがいました。
いくつか骨壷があり、思わず「ごめんね」と声に出してしまいました。
考えてみれば、検索でみたのは新しいお墓だったので、もうすでに骨壷があるケースがあったのかどうかは、後の祭りです。
ただ、一度開けてみると、「何だ、こんなものか」という感じで、
タブー視する必要なんかないなと、思えました。
これで、石屋を呼ばないだけでも、数万円セーブです。
2015年6月30日火曜日
今更ながら、サッカーの試合での旭日旗
いまさらなのだが。
旭日旗は、日本の自衛隊旗でもあるのだから、「言いがかりをつけられても」と、困惑する。
でも、もし2020年の東京オリンピックで、中華人民解放軍の軍旗や、大韓民国の海軍旗がたてられたら、やはり政治的意味を考えてしまう。
2015年6月3日水曜日
私も胃がやられちゃいました。
3か月半ぶりの更新。
最後に更新した日は、かなりの深酒をしてしまい、その翌日から本日まで断酒している。
深酒のせいもあったが、ここ最近ムカムカ感があり、26日の胃カメラ検査まで禁酒することにした。
検査で、胃も食道も荒れており、その日から、胃酸をおさえる薬を2か月飲んだ。
ゴールデンウィーク前に薬をもらっておこうと、病院に行った際に、「十二指腸潰瘍だ」と言われるが、「治っている」ともいう。はっきりした病名が分からなくなり、「何のために、いつまで薬を飲み続けるのか」と質問すると、「そんなに猜疑心をもっているなら、薬をやめたらいい。すぐに元に戻って後悔するから」という。
その乱暴な物言いに、しばらく意味がわからなくなったが、その他にも、
「心ある人なら、食事に気を付けて薬をのまないこともできないことではない。」
「あなたの体のことを考えて言ってあげているのだから、素直に聞くべきだ。」
と続く。これは、聞き間違えではないので、
「私は、いつまで薬を飲み続けるのかと質問しただけで、そのような喧嘩を売るような言葉を聞く必要はない。たとえ、身体が悪化したとしても、あなたに診てもらう気が全くしなくなった。ので、これで打ち切りとしてもらいたい」
と、伝え病室を出た。
帰宅して妻につたえると、「せめて薬だけでももらって出てくればいいのに」といわれた。
いああ、ごもっとも。
でも、今は薬を飲まずに1ヶ月やっている。
来週は、ずっとアポをまった大学病院に行ってみよう。
最後に更新した日は、かなりの深酒をしてしまい、その翌日から本日まで断酒している。
深酒のせいもあったが、ここ最近ムカムカ感があり、26日の胃カメラ検査まで禁酒することにした。
検査で、胃も食道も荒れており、その日から、胃酸をおさえる薬を2か月飲んだ。
ゴールデンウィーク前に薬をもらっておこうと、病院に行った際に、「十二指腸潰瘍だ」と言われるが、「治っている」ともいう。はっきりした病名が分からなくなり、「何のために、いつまで薬を飲み続けるのか」と質問すると、「そんなに猜疑心をもっているなら、薬をやめたらいい。すぐに元に戻って後悔するから」という。
その乱暴な物言いに、しばらく意味がわからなくなったが、その他にも、
「心ある人なら、食事に気を付けて薬をのまないこともできないことではない。」
「あなたの体のことを考えて言ってあげているのだから、素直に聞くべきだ。」
と続く。これは、聞き間違えではないので、
「私は、いつまで薬を飲み続けるのかと質問しただけで、そのような喧嘩を売るような言葉を聞く必要はない。たとえ、身体が悪化したとしても、あなたに診てもらう気が全くしなくなった。ので、これで打ち切りとしてもらいたい」
と、伝え病室を出た。
帰宅して妻につたえると、「せめて薬だけでももらって出てくればいいのに」といわれた。
いああ、ごもっとも。
でも、今は薬を飲まずに1ヶ月やっている。
来週は、ずっとアポをまった大学病院に行ってみよう。
2015年2月20日金曜日
大動脈瘤、脳梗塞、スキルス性胃がんを乗り越えて(1)
昨日、親父(79)の胃と脾臓の全摘出手術が無事終了した。
紆余曲折が多く、書き残すこともしなかったが、ここでひと段落したので、整理しておきたい。
昨年(2014)の秋、「飲み込みにくい」という症状を訴え静岡の癌センターで検査を受けたのが始まりであった。CTのみで、食道癌の疑いがあると診断されたが、同時に心臓に大動脈瘤が見つかった。
大動脈瘤は、破裂すれば致死率が非常に高い病気なので、こちらが優先されることとなり、静岡県立総合病院を紹介された。10月から、様々な検査がはじまり、12月12日に手術のため入院、16日に手術する予定であった。
15日に、首の血管に異常に細いところがあることが発覚、脳梗塞に陥る可能性が高いと言われ、中止も検討される。16日の午前中に脳外科の検査結果を待ち、脳には血液が回っているので、午後に手術をすることとなった。
大動脈瘤の手術は、肋骨を切り外し、心臓につながっている大動脈を人工血管に交換するというもの。体温を下げ、心臓をとめて仮死状態にしながら、機械で血液を循環させた。手術は、予定よりも大幅に長くなり、母、家内、子供達二人と集中治療室の前で8時間ほど待った。
手術が終わり、集中治療室に移さされた父は、冷たくなっており、手術の危険性がうかがえた。手術は成功であったが、その後、脳梗塞を起こし、膝が動かないという症状がでて、このまま半身不随になる危険性がでてきたと医師より説明された。ステロイドを投入し、3日間集中治療室にのこることとなる。早期のステロイド投入で、半身不随は間逃れた。
執刀医は、30代前半の若い先生(佐藤博文先生。伊藤博文と一字違い)であったが、とても優しく、説明も明確で、その後の癌治療の手配も担当でもないのに、親身になってしていただいた。この先生には、いつか改めてお礼をさせていただきたい。
退院は年末予定であったが、心臓に水がたまり、正月休みの危険性もあるので、1月8日まで延期となった。
紆余曲折が多く、書き残すこともしなかったが、ここでひと段落したので、整理しておきたい。
昨年(2014)の秋、「飲み込みにくい」という症状を訴え静岡の癌センターで検査を受けたのが始まりであった。CTのみで、食道癌の疑いがあると診断されたが、同時に心臓に大動脈瘤が見つかった。
大動脈瘤は、破裂すれば致死率が非常に高い病気なので、こちらが優先されることとなり、静岡県立総合病院を紹介された。10月から、様々な検査がはじまり、12月12日に手術のため入院、16日に手術する予定であった。
15日に、首の血管に異常に細いところがあることが発覚、脳梗塞に陥る可能性が高いと言われ、中止も検討される。16日の午前中に脳外科の検査結果を待ち、脳には血液が回っているので、午後に手術をすることとなった。
大動脈瘤の手術は、肋骨を切り外し、心臓につながっている大動脈を人工血管に交換するというもの。体温を下げ、心臓をとめて仮死状態にしながら、機械で血液を循環させた。手術は、予定よりも大幅に長くなり、母、家内、子供達二人と集中治療室の前で8時間ほど待った。
手術が終わり、集中治療室に移さされた父は、冷たくなっており、手術の危険性がうかがえた。手術は成功であったが、その後、脳梗塞を起こし、膝が動かないという症状がでて、このまま半身不随になる危険性がでてきたと医師より説明された。ステロイドを投入し、3日間集中治療室にのこることとなる。早期のステロイド投入で、半身不随は間逃れた。
執刀医は、30代前半の若い先生(佐藤博文先生。伊藤博文と一字違い)であったが、とても優しく、説明も明確で、その後の癌治療の手配も担当でもないのに、親身になってしていただいた。この先生には、いつか改めてお礼をさせていただきたい。
退院は年末予定であったが、心臓に水がたまり、正月休みの危険性もあるので、1月8日まで延期となった。
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