2016年2月18日木曜日

ミャンマー旅行(2)

ミャンマーの今後の経済発展も興味があるところだが、仏教国としてのミャンマーにも興味があった。実のところ、観光は仏教関連のものしかないのですが。

連日、寺、仏像、仏塔の繰り返しです。
仏教に全く興味がない人には辛い旅でしょう。

ミャンマーの仏教は、小乗仏教です。
小乗仏教という呼び方は、大乗仏教からの軽視した呼び方とも言われており、最近では上座仏教とか、テーラーワーダ仏教とか呼ばれているそうです。ミャンマーのガイドに聞いたら、別に気にしていないということでしたが。3人のガイドに、日本の仏教について聞いてみましたが、「大乗仏教なので、別物です。」と、同様の回答が帰ってきました。

彼らにとっての仏教は、もっと生活に密着したものです。人生が仏教の枠組みで流れているようにも感じました。子供が生まれるとなるべく早く出家させるそうです。出家といっても1週間ほどのプチ出家です。親元を離れ、 昼の12時から朝の4時半までは、食事をしてはいけないという団体生活を5歳くらいの子が行います。出家させるために、親は1年分の所得を費やしたりするそうです。ゴータマ・シッダールタが、出家した時のように、馬に乗せて、村中の人に食事を振る舞いと、盛大にするそうです。

子供が小さいうちに出家させるのは、子供の死亡率が高いこともあるそうです。死ぬ前に、少しでも徳を積ませておいて、もし死んでも来世はその徳で、少しでもよく生まれ変わって欲しいという親心ですね。

2回目の出家は18歳の時で、この時に、僧侶になるかどうかを決めるそうですが、96%は、在家を求めるそうです。全ての快楽を断ち切る生活を18歳でするのは、難しいと思います。50歳くらいで、強制出家があれば、そのまま僧侶になる人は増えると思いますが、そんな定年僧侶を支えるとなると在家の布施は大変なことになるでしょうね。

僧侶の生活では戒律が守られています。
結婚もしませんし、お酒も飲みません。
お金にも直接ふれないそうです。

在家になり変わって、厳しい戒律のなかで徳を積み、
在家は、布施をすることによって、徳を積む。

子供の僧侶が、お寺で座禅をしていました。
すでに何かを悟ったようなオーラがありました。

そんな横で、日本からきた坊主の団体が、ディナーショーで、酒を飲みながら、大声で笑い、バンドや踊り子にチップを渡している姿をみて、恥ずかしく、腹立たしく感じました。

2016年2月13日土曜日

ミャンマー旅行(1)

ミャンマー旅行に行ってきました。
会社の会長と部長と3人で。3人で海外は、フィラデルフィア以来になり、もう10年は経っているかもしれません。

3人とは、20年以上の付き合いになりますが、3人で写真を撮ったのは今回がはじめてで、良い思い出になるでしょう。

ミャンマーを選んだのは、急速な経済発展があると予想しており、その前に見ておきた買ったからです。ビルも少なく、人々も大半が民族衣装で、日本や韓国で使われていたバスがそのまま走ってます。




ミャンマーが急速に変わろうとするきっかけはやはりアウンサンスーチーさんでしょう。彼女のお父さんアウンサン将軍は、独立の父と呼ばれ、今で国民の尊敬を集めている。スーチーさんは、父の血を引き継いでおり、数ヶ月前まで、家に監禁されて ました。湖のほとりで、大きな屋敷でしたが、軟禁となると苦しいでしょう。その家の前で、一枚撮った写真です。



アウンサン・スーチーさんは、軍の勢力と折り合いをつけながら民主化を成し遂げなくてはいけないようですが、お兄さんが軍の勢力と組んで邪魔しているそうです。なので、スーチーさんは、お兄さんにアメリカやイギリスに大きな家を買ってあげて、ミャンマーでもバカンの河のほとりに大きな屋敷を買ってあげたそうです。iPhoneでは遠すぎて写真をとれませんでしたが、その家から見える夕日の写真です。



ミャンマーは、日本の面積の1.8倍で 、人口は約5,000万人。土地は、平地が多く、海もあり、大きな河もあり、輸送の観点からは良い土地柄です。また、石油や天然ガスもあり、農業も盛んで、自給自足ができる国です。国民は、上座仏教徒で争いを好まねい優しい国民性で、今のところ民族衣装をまとい、外食は好まず、足を知る生き方を実践しているようです。掃除もしっかりしているので、路端のゴミもないことから、モラルもしっかりしていると思います。あらゆる面から、希望のある国だと感じました。

逆に、国を開放することによって、貧富の差がでてくることにより、住みにくい国にならないかが懸念です。