2011年9月26日月曜日

回転寿司での注文

昨日、お墓参りに行く途中で、家族で回転すしに入りました。
ウニの軍艦を注文しても、なかなかきません。
気づくと、前の席の人に取られてました。

気を取り直して再注文。
でも、前の席の人がとっちゃいます。

思わず「人の注文とっちゃだめだよ」と言いました。
中年のご夫婦だったのですが、とった旦那は何も言わず、
奥さんが謝ってました。

文句をいうと、やはりこちらも気分が悪いです。
言われた方も、いやでしょう。
一つ間違えば、喧嘩になる緊張感もあります。

その旦那さんは、店員になんか文句をいいにいったあと、
そうそうと出て行ってしまいました。
奥さんが席にきて、「すいませんでした」と謝ってくれましたが、
それでも私もおいしくお寿司を頂くことはできませんでした。

すると、また別の席の人が私たちの注文の品をとってしまいます。

こんなことは、他所の店でなかったので、原因を考えました。

私の席は、62番だったのですが、
注文したさらには、61番~63番のご注文商品という札がはって流されていました。

前の席の人は、自分の注文だと思ってとっていたのです。

システム的には、注文したものがとどきますと、画面に表示されるのですが、
目の前に、注文商品が流れると、間違って取ってしまうのでしょう。

店員に、そのことをいいました。
女の子は、原因を理解して謝ってくれましたが、
私も前のご夫婦も折角お金を出してお寿司を食べにきたのに、
嫌な思いをして、おいしく食べることはできませんでした。
私の奥さんも子供達も同じです。

寿司屋には、わかりやすいシステムでも、
お客さんが誤解しやすくて、
かつ、トラブルの要因となり、
食事を楽しめなくなるのは、ダメです。

食事の時に、嫌な気持ちになるほどいやなことはありませんし、
絶対健康にも良くないはずです。
毒を食べているようなもんです。

是非、改善してほしいです。

2011年9月7日水曜日

社員を育てることへの決意

サラリーマンを辞めて、数名の小さな、小さな会社の取締役となりました。
主たる事業もないまま設立から7年がすぎ、単年度でも赤字に陥った会社です。

周りからみると馬鹿な選択かもしれませんが、
私にとっては、『ワクワクするような冒険』です。

もともと独立を考えていたので、
ほそぼそながらでも7年間の社歴があり、無借金で、資本金もまだ残っているだけで、
私には、十分な勝算があります。

昨年度は、非常勤という形で、無償でしたが、新規事業を立ち上げ、なんとか単年度黒字にもっていきました。未曾有の大震災があり、かなりの不安がありましたが、御蔭様で、今年度は私の給与を支払っても黒字が期待できます。

ただ、驚いたのは社員のレベルです。
申し訳ないですが、想像以上に低いのです。
正直『解雇』の二文字が頭をよぎったのは、1回や2回ではありません。

酷い例では、客先にも、社内にも嘘をついて仕事をすすめており、
お客様からのクレームの電話で露見したこともあり、
その時のショックは大きかったです。
なんとかバックアップでリカバーし、お客様にも寛大なご理解を頂き、大事にはならなかったのが、幸いです。

このことをサラリーマン時代の仲間に相談すると、
「そういう社員は、変わらない。」
「雇用している自体が会社の信用を損なう。」
「他の社員にも悪影響を与える。」
と言う。

おっしゃる通りだろう。
私も、きっと同じことをいっていた。

ただ、今回私が考えたのは、
私がこの会社にきたこと、
そしてこの社員達とであったことの縁についてである。

私は、自分の周りに起きていることは、鏡の反射みたいなものと考えるので、
この縁も何か、意味があるものではないかと考えている。

そして、出た結論は、
「小さな会社は、優秀な人を育てるしかない」
ということだ。

大企業のように、「働きたい」という人が次から次へ来てもらえるわけでもないし、
リスクをみて、大目に雇用をし、そこからそぎ落としていくような、余裕もない。

私は、サラリーマン時代、それなりの部隊を任されていた。
その頃は、教育なんて甘い。
できるやつは、自分で勉強して、模索して、迷いながらも道を切り開いてくる。
会社や上司からの教育を期待している奴は、そもそも資質がない。

そう思ってきた。

しかし、「人は育てるんだ」と覚悟したとき、
「育てられるかどうかは、育てる側の人間の実力だ」
と思えるようになってきた。

私には二人の小学生の子供がいるが、決して良い父親ではない。
でも、愛情を持って育てようとしている。

会社でも、良い上司ではないし、良い大人でもないが、
社員達との縁を信じ、愛情をもって、教育していく。

親は子供に育てられるものというが、
まさに、経営者は社員によって育てられるものだと思う。

この心がぶれないよう、毎朝、毎晩、毎時間、
自己反省をして、楽しんで成長しようと思う。

静岡ホテルのパートナーの夕べ

昨日、静岡のホテルで、協力会社の集まるパーティー出席させて頂いた。

私は、仕事がらこの手のパーティに御邪魔することが多いが、
こちらのパートナーの夕べは好感がもてる。

何しろ、食事がおいしい。

通常、立食パーティだと並ぶだけでうんざりしてしまい、また、焼きそばとか揚げ物をずらっとならべた、安物バイキングみたいだと、乾杯がおわれば帰ってしまうこともある。

しかし、こちらのパーティは、種類が豊富で、どこから並んでも全ておいしい。また、人気の寿司やステーキなども、最初の時間をずらせばちゃんと残っていて、ご馳走になることができる。

流石に静岡だけあって、魚はおいしかった。
他の肉料理も、色々なソースで楽しむことができ大満足。

あと、ホテル役員の挨拶も、手短ではあるが感謝の心が伝わってきて好感が持てる。

こんどは、プライベートで家族で食事に行こうかな。
中華料理がお目当てです。

ゴミからわかる文化レベル

夏目漱石の「三四郎」の中で、三四郎が熊本から東京に出てくる列車の中、何度か窓から弁当などのゴミをすてる場面がある。

電車の窓からゴミを捨てる?!

今では全く信じられない光景だ。

ただ、数十年前は車の窓からゴミを捨てる光景は記憶がある。
車道の脇は、弁当やらカンが一杯捨ててあり、「ノーポイ運動」なんていうものもあった。

文化が発展してくるとゴミのマナーも良くなるのだろう。
20年前のNYはゴミだらけだったし、10年前の中国深せん市もゴミだらけで恐ろしいくらいだった。

心理学でいわれるのは、壊れた窓や壊れた車を放置しておくとその周辺の犯罪率は増えるという。
かけた茶碗や壊れた家具があると、やはり家族の心も荒んでくるのだろうか。

我が家の裏庭にも、よくジュースのカンがすててある。
そのままにしておけば、余計ひどくなる。
数年前に、通り沿いに花を上はじめると、ゴミを捨てられることが減った。

ゴミをそのままにしているか、
通行人のために花を植えているか、
そういったところからその地域の住民の文化レベルを知ることができると思う。

他人のためにも、自分達のためにも、町は綺麗にしたい。