再来週、父の49日の法事を終えたあと、納骨をします。
先祖代々のお墓があるので、そちらを開けて納骨する必要があります。
お通夜、法事と家族葬で進めてきており、できる限り葬儀屋を通さず家族の手で進めようとしています。
ので、納骨も自分でやろうかと。
今まで、お墓を開けるなんて全くのタブーでした。
どうも、気持ちが悪いというか、不敬な感じがしました。
今朝お墓に行き、しばらくお墓の前で、YouTubeなどで納骨の仕方など検索し、「結構皆さん自分でやってるじゃん」と勇気付けられたので、決心して開けてみることにしました。当家のお墓は、ちょっと違い、お墓の前の重い石板を動かし、お墓のしたに大きな穴があるというもので、検索したのとは勝手がちがいました。
いくつか骨壷があり、思わず「ごめんね」と声に出してしまいました。
考えてみれば、検索でみたのは新しいお墓だったので、もうすでに骨壷があるケースがあったのかどうかは、後の祭りです。
ただ、一度開けてみると、「何だ、こんなものか」という感じで、
タブー視する必要なんかないなと、思えました。
これで、石屋を呼ばないだけでも、数万円セーブです。
盲導犬の繁殖犬(♂)ボランティアをしています。 ブラックラブラドールのイルームは、パピー時代を我が家で過ごし、6か月盲導犬センターで訓練を受けたのち、繁殖犬になり、我が家に戻ってきました。 イルームが健康で恰好いいスタッドであり続け、沢山の盲導犬パピーを世に送り出すお手伝いをしています。
2015年10月21日水曜日
2015年6月30日火曜日
今更ながら、サッカーの試合での旭日旗
いまさらなのだが。
旭日旗は、日本の自衛隊旗でもあるのだから、「言いがかりをつけられても」と、困惑する。
でも、もし2020年の東京オリンピックで、中華人民解放軍の軍旗や、大韓民国の海軍旗がたてられたら、やはり政治的意味を考えてしまう。
2015年6月3日水曜日
私も胃がやられちゃいました。
3か月半ぶりの更新。
最後に更新した日は、かなりの深酒をしてしまい、その翌日から本日まで断酒している。
深酒のせいもあったが、ここ最近ムカムカ感があり、26日の胃カメラ検査まで禁酒することにした。
検査で、胃も食道も荒れており、その日から、胃酸をおさえる薬を2か月飲んだ。
ゴールデンウィーク前に薬をもらっておこうと、病院に行った際に、「十二指腸潰瘍だ」と言われるが、「治っている」ともいう。はっきりした病名が分からなくなり、「何のために、いつまで薬を飲み続けるのか」と質問すると、「そんなに猜疑心をもっているなら、薬をやめたらいい。すぐに元に戻って後悔するから」という。
その乱暴な物言いに、しばらく意味がわからなくなったが、その他にも、
「心ある人なら、食事に気を付けて薬をのまないこともできないことではない。」
「あなたの体のことを考えて言ってあげているのだから、素直に聞くべきだ。」
と続く。これは、聞き間違えではないので、
「私は、いつまで薬を飲み続けるのかと質問しただけで、そのような喧嘩を売るような言葉を聞く必要はない。たとえ、身体が悪化したとしても、あなたに診てもらう気が全くしなくなった。ので、これで打ち切りとしてもらいたい」
と、伝え病室を出た。
帰宅して妻につたえると、「せめて薬だけでももらって出てくればいいのに」といわれた。
いああ、ごもっとも。
でも、今は薬を飲まずに1ヶ月やっている。
来週は、ずっとアポをまった大学病院に行ってみよう。
最後に更新した日は、かなりの深酒をしてしまい、その翌日から本日まで断酒している。
深酒のせいもあったが、ここ最近ムカムカ感があり、26日の胃カメラ検査まで禁酒することにした。
検査で、胃も食道も荒れており、その日から、胃酸をおさえる薬を2か月飲んだ。
ゴールデンウィーク前に薬をもらっておこうと、病院に行った際に、「十二指腸潰瘍だ」と言われるが、「治っている」ともいう。はっきりした病名が分からなくなり、「何のために、いつまで薬を飲み続けるのか」と質問すると、「そんなに猜疑心をもっているなら、薬をやめたらいい。すぐに元に戻って後悔するから」という。
その乱暴な物言いに、しばらく意味がわからなくなったが、その他にも、
「心ある人なら、食事に気を付けて薬をのまないこともできないことではない。」
「あなたの体のことを考えて言ってあげているのだから、素直に聞くべきだ。」
と続く。これは、聞き間違えではないので、
「私は、いつまで薬を飲み続けるのかと質問しただけで、そのような喧嘩を売るような言葉を聞く必要はない。たとえ、身体が悪化したとしても、あなたに診てもらう気が全くしなくなった。ので、これで打ち切りとしてもらいたい」
と、伝え病室を出た。
帰宅して妻につたえると、「せめて薬だけでももらって出てくればいいのに」といわれた。
いああ、ごもっとも。
でも、今は薬を飲まずに1ヶ月やっている。
来週は、ずっとアポをまった大学病院に行ってみよう。
2015年2月20日金曜日
大動脈瘤、脳梗塞、スキルス性胃がんを乗り越えて(1)
昨日、親父(79)の胃と脾臓の全摘出手術が無事終了した。
紆余曲折が多く、書き残すこともしなかったが、ここでひと段落したので、整理しておきたい。
昨年(2014)の秋、「飲み込みにくい」という症状を訴え静岡の癌センターで検査を受けたのが始まりであった。CTのみで、食道癌の疑いがあると診断されたが、同時に心臓に大動脈瘤が見つかった。
大動脈瘤は、破裂すれば致死率が非常に高い病気なので、こちらが優先されることとなり、静岡県立総合病院を紹介された。10月から、様々な検査がはじまり、12月12日に手術のため入院、16日に手術する予定であった。
15日に、首の血管に異常に細いところがあることが発覚、脳梗塞に陥る可能性が高いと言われ、中止も検討される。16日の午前中に脳外科の検査結果を待ち、脳には血液が回っているので、午後に手術をすることとなった。
大動脈瘤の手術は、肋骨を切り外し、心臓につながっている大動脈を人工血管に交換するというもの。体温を下げ、心臓をとめて仮死状態にしながら、機械で血液を循環させた。手術は、予定よりも大幅に長くなり、母、家内、子供達二人と集中治療室の前で8時間ほど待った。
手術が終わり、集中治療室に移さされた父は、冷たくなっており、手術の危険性がうかがえた。手術は成功であったが、その後、脳梗塞を起こし、膝が動かないという症状がでて、このまま半身不随になる危険性がでてきたと医師より説明された。ステロイドを投入し、3日間集中治療室にのこることとなる。早期のステロイド投入で、半身不随は間逃れた。
執刀医は、30代前半の若い先生(佐藤博文先生。伊藤博文と一字違い)であったが、とても優しく、説明も明確で、その後の癌治療の手配も担当でもないのに、親身になってしていただいた。この先生には、いつか改めてお礼をさせていただきたい。
退院は年末予定であったが、心臓に水がたまり、正月休みの危険性もあるので、1月8日まで延期となった。
紆余曲折が多く、書き残すこともしなかったが、ここでひと段落したので、整理しておきたい。
昨年(2014)の秋、「飲み込みにくい」という症状を訴え静岡の癌センターで検査を受けたのが始まりであった。CTのみで、食道癌の疑いがあると診断されたが、同時に心臓に大動脈瘤が見つかった。
大動脈瘤は、破裂すれば致死率が非常に高い病気なので、こちらが優先されることとなり、静岡県立総合病院を紹介された。10月から、様々な検査がはじまり、12月12日に手術のため入院、16日に手術する予定であった。
15日に、首の血管に異常に細いところがあることが発覚、脳梗塞に陥る可能性が高いと言われ、中止も検討される。16日の午前中に脳外科の検査結果を待ち、脳には血液が回っているので、午後に手術をすることとなった。
大動脈瘤の手術は、肋骨を切り外し、心臓につながっている大動脈を人工血管に交換するというもの。体温を下げ、心臓をとめて仮死状態にしながら、機械で血液を循環させた。手術は、予定よりも大幅に長くなり、母、家内、子供達二人と集中治療室の前で8時間ほど待った。
手術が終わり、集中治療室に移さされた父は、冷たくなっており、手術の危険性がうかがえた。手術は成功であったが、その後、脳梗塞を起こし、膝が動かないという症状がでて、このまま半身不随になる危険性がでてきたと医師より説明された。ステロイドを投入し、3日間集中治療室にのこることとなる。早期のステロイド投入で、半身不随は間逃れた。
執刀医は、30代前半の若い先生(佐藤博文先生。伊藤博文と一字違い)であったが、とても優しく、説明も明確で、その後の癌治療の手配も担当でもないのに、親身になってしていただいた。この先生には、いつか改めてお礼をさせていただきたい。
退院は年末予定であったが、心臓に水がたまり、正月休みの危険性もあるので、1月8日まで延期となった。
2015年1月20日火曜日
登校日 今日も行けずに ママごめん
娘の学校のお友達の話です。
その男の子は、いじめにあい、一年間学校に行けずに、ついに辞めてしまいました。身体的なイジメではなかったそうですが、ノートに「死ね」と書かれたり、日常的にバカにされたりと、精神的に追い詰められていたそうです。お母さんは、「学校に行きたくないなら行かなくて良い」と、登校を無理強いはしませんでしたが、公園でお弁当を一緒に食べることだけは続けたそうです。全く、笑わない子になってしまっていました。
私立小学だったので、思い切って退学し、公立に転校しました。
その親子が、学校を辞めて、半年くらいしてから、家に泊まりで遊びに来てくれました。
私は、その子がイジメられていたこともしらなかったので、笑顔が可愛くて、素直ないい子だなと思いました。娘とも無邪気に、はしゃいで遊んでいる姿は、登校拒否していたなど、全く想像もさせませんでした。
お母さんから、その話を聞いて知った次第です。
娘に聞くと、「学校にいた頃と、全然性格が違うよ」と言っていました。
本当に、その学校を辞めてよかったし、また、お母さんが毎日公園に連れ出したことに感動しました。
昔は、「子供の喧嘩に親が口出すな」などと言われていましたが、いまの時代は、子供の問題に積極的に関与するのが親の務めだと思います。
娘もイジメられたことがあり、そのことを隠そうとしましたが、
「イジメは、犯罪だ。犯罪を黙ったいたら、そいつらに加担することになる。放っておいたら、他の子もいじめられることになる。絶対に許してはいけないのだから、正直に言いなさい。」と説得し、聞き出したら、そのまま学校の先生に相談に行きました。
娘へのイジメはすぐになくなりましたが、その男の子をいじめていたグループだということが今回わかりました。
イジメは、子供達では解決できません。
大人が関与しなくては、止めることができません。
イジメを放置するのは、大人の犯罪です。
その男の子は、いじめにあい、一年間学校に行けずに、ついに辞めてしまいました。身体的なイジメではなかったそうですが、ノートに「死ね」と書かれたり、日常的にバカにされたりと、精神的に追い詰められていたそうです。お母さんは、「学校に行きたくないなら行かなくて良い」と、登校を無理強いはしませんでしたが、公園でお弁当を一緒に食べることだけは続けたそうです。全く、笑わない子になってしまっていました。
私立小学だったので、思い切って退学し、公立に転校しました。
その親子が、学校を辞めて、半年くらいしてから、家に泊まりで遊びに来てくれました。
私は、その子がイジメられていたこともしらなかったので、笑顔が可愛くて、素直ないい子だなと思いました。娘とも無邪気に、はしゃいで遊んでいる姿は、登校拒否していたなど、全く想像もさせませんでした。
お母さんから、その話を聞いて知った次第です。
娘に聞くと、「学校にいた頃と、全然性格が違うよ」と言っていました。
本当に、その学校を辞めてよかったし、また、お母さんが毎日公園に連れ出したことに感動しました。
昔は、「子供の喧嘩に親が口出すな」などと言われていましたが、いまの時代は、子供の問題に積極的に関与するのが親の務めだと思います。
娘もイジメられたことがあり、そのことを隠そうとしましたが、
「イジメは、犯罪だ。犯罪を黙ったいたら、そいつらに加担することになる。放っておいたら、他の子もいじめられることになる。絶対に許してはいけないのだから、正直に言いなさい。」と説得し、聞き出したら、そのまま学校の先生に相談に行きました。
娘へのイジメはすぐになくなりましたが、その男の子をいじめていたグループだということが今回わかりました。
イジメは、子供達では解決できません。
大人が関与しなくては、止めることができません。
イジメを放置するのは、大人の犯罪です。
2015年1月15日木曜日
富士のもと 父母ともに寝たきりに
11日、母がイルームと遊んでいる最中、椅子から転倒してしまった。
救急車で富士宮市の救急病院に運ばれ、脊椎圧迫骨折と診断された。
富士宮市内では、休日に入院を受け入れてくれるところがなく、静岡市立病院に救急車で1時間搬送された。
入院するためにいったのだが、5時間待たされて、問いただすと救急のベットで寝かされたままであった。さらに、入院しない方が良いという。入院しても、痛み止めを与えて、寝かせるだけなので、認知症も進むというのが病院の説明だった。車椅子に乗せるだけで、痛みで吐いてしまう程苦しんでいる状態であったが、なんとか車に乗せて富士宮まで1時間以上かけて戻った。
父が心臓の手術を受け退院して3日後だったので、父母ともに寝たきり状態だ。翌日、残して帰るのは、心配であったが、「大丈夫」と言い張るので、残してきた。
13日、電話しても応答がなかったので、夕方から行ってみると案の定、母が床に座りこんで立てない状態で、 父もそれをただ見ているだけの状態であった。
14、15日は、なんとか二人でやれているようだが、ちゃんと食べているのか。。
救急車で富士宮市の救急病院に運ばれ、脊椎圧迫骨折と診断された。
富士宮市内では、休日に入院を受け入れてくれるところがなく、静岡市立病院に救急車で1時間搬送された。
入院するためにいったのだが、5時間待たされて、問いただすと救急のベットで寝かされたままであった。さらに、入院しない方が良いという。入院しても、痛み止めを与えて、寝かせるだけなので、認知症も進むというのが病院の説明だった。車椅子に乗せるだけで、痛みで吐いてしまう程苦しんでいる状態であったが、なんとか車に乗せて富士宮まで1時間以上かけて戻った。
父が心臓の手術を受け退院して3日後だったので、父母ともに寝たきり状態だ。翌日、残して帰るのは、心配であったが、「大丈夫」と言い張るので、残してきた。
13日、電話しても応答がなかったので、夕方から行ってみると案の定、母が床に座りこんで立てない状態で、 父もそれをただ見ているだけの状態であった。
14、15日は、なんとか二人でやれているようだが、ちゃんと食べているのか。。
2015年1月9日金曜日
散歩好き 金色朝日と 白い富士 (居流夢)
今年は、狭山湖・多摩湖からも連日富士山が綺麗に姿を見せてくれています。
イルームと散歩しながら、狭山湖の堤防からとった朝日が、綺麗に地元を金色に輝かせてくれていました。
昨日は、盲導犬センターからイルームの子供が無事8頭生まれたと連絡がありました。
18日以降に面会もできるとのことなので、楽しみにしています。
2015年1月8日木曜日
ミュージシャン 取り上げ左右 語るバカ
2014年の紅白に出場したサザンのライブが、「反日だ」という声が上がっている。
桑田は在日だとか、サザンは南朝鮮を意味するとか、あれこれ想像力を駆使してまくし立ててる。
しかし、ミュージシャンなんて、Love, Peace, 反戦は、お約束のカバー分野であるし、体制への反発こそがロックを生んだのだ。
桑田さんなんか、まさにその真っ只中でロックしてきた世代だし、
ビートルズの作曲の層の広さに加えて、ボブデュランやジョンレノンの思想的影響を受けていることは、数十年サザンが流れていた日本では、知っていて当然だろう。
私は別に、桑田佳祐やサザンオールスターズのファンではないが、ミュージシャンが主張するLove&Peaceにいちいち政治的なものを照らし合わせて、批評するのは馬鹿らしい。
固定されたものに風穴を開けている風に見せるただのパフォーマンスでしたかない。
ミュージシャンは所詮ミュージシャン、政治家でもなければ、国際関係の専門家でもない。
それよりも、なぜNHKが30数年ぶりに、サザンを出したのか。それも数日前決定で、ほぼ自由な選曲で。そのあたりの意図はしりたいね。こちらにこそ、政治的主張を感じる。
桑田は在日だとか、サザンは南朝鮮を意味するとか、あれこれ想像力を駆使してまくし立ててる。
しかし、ミュージシャンなんて、Love, Peace, 反戦は、お約束のカバー分野であるし、体制への反発こそがロックを生んだのだ。
桑田さんなんか、まさにその真っ只中でロックしてきた世代だし、
ビートルズの作曲の層の広さに加えて、ボブデュランやジョンレノンの思想的影響を受けていることは、数十年サザンが流れていた日本では、知っていて当然だろう。
私は別に、桑田佳祐やサザンオールスターズのファンではないが、ミュージシャンが主張するLove&Peaceにいちいち政治的なものを照らし合わせて、批評するのは馬鹿らしい。
固定されたものに風穴を開けている風に見せるただのパフォーマンスでしたかない。
ミュージシャンは所詮ミュージシャン、政治家でもなければ、国際関係の専門家でもない。
それよりも、なぜNHKが30数年ぶりに、サザンを出したのか。それも数日前決定で、ほぼ自由な選曲で。そのあたりの意図はしりたいね。こちらにこそ、政治的主張を感じる。
2015年1月7日水曜日
2015年1月5日月曜日
仕事はじめでした。
事始め 駅まで追うは 愛娘。
1月5日は、仕事始めでした。
駅まで通勤する私の後を、追いかけてくる娘の足音が嬉しく響きました。
最初の仕事は、昨年末に失礼をしたお客様に謝罪も含めた新年のご挨拶でした。
快く許してくださったので、感謝です。
1月5日は、仕事始めでした。
駅まで通勤する私の後を、追いかけてくる娘の足音が嬉しく響きました。
最初の仕事は、昨年末に失礼をしたお客様に謝罪も含めた新年のご挨拶でした。
快く許してくださったので、感謝です。
2015年1月3日土曜日
三ヶ日 富士を仰ぎて 晴れ心
2015年の正月三が日は、富士山が綺麗にその雄大な姿を見せてくれました。
イルームと、3日はイルームと6時間散歩しました。
ず〜と、富士山が綺麗に見えるので、全然疲れを感じませんでした。
あまりにも美しい日なので、勢いで長者ケ岳に登っちゃいました。
富士山、田貫湖、駿河湾が一望でき、最高の新年のプレゼントをいただきました。
2015年1月1日木曜日
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