土日の豪雨で、娘の運動会は、昨日9日月曜日に開催された。
幸い、アポもなかったので、会社を休み、運動会に行くことはできたが、流石にお父さんたちの姿はまばらであった。
開会式は、なんと校長がいない。
出張だったのだろうか?
家族のお弁当もなく、子供達は給食。
親は、外食という、なんとも、しっくりこない運動会となってしまった。
でも、子供達はそんなことお構いなしで元気いっぱい。
まあ、子供達が納得しているのであれば好かな。
娘は、入場行進でブラバンに入り鉄琴を演奏した。
怪我で練習ができなかった娘は、組体操にも参加させてもらえず、ほとんどが見学だったので、これが唯一の出番であった。
写真きらいの娘は、いつもならカメラを向けると逃げ回るが、流石に、楽器を演奏中に逃げ出すこともできず、バチバチと写真を撮れたので、パパとしては満足。
娘の出番もないし、御弁当もないので、途中で家内と買い物+食事に出かけた。
クレジットカードのポイントを交換した商品券で、シャツを2枚かってもらい、食べ放題のレストランで食事もできたし、こちらも満足。
昼過ぎに運動会に戻ると、娘が「何もないから、帰っていいよ」というので、家に帰ってイルームの散歩に行った。
雨が降り続けていたせいか、多摩湖のまわりのサイクリングコースは、緑がきれいで、ちょっと霧もかかっていたりして、森林浴が気持ちよかった。
帰宅した娘に聞くと、校長先生は閉会式にはでたそうだ。
やれやれ
盲導犬の繁殖犬(♂)ボランティアをしています。 ブラックラブラドールのイルームは、パピー時代を我が家で過ごし、6か月盲導犬センターで訓練を受けたのち、繁殖犬になり、我が家に戻ってきました。 イルームが健康で恰好いいスタッドであり続け、沢山の盲導犬パピーを世に送り出すお手伝いをしています。
2014年6月10日火曜日
2014年6月6日金曜日
関西でイルームの子が生まれました。
嬉しい知らせが関西の盲導犬センターからありました。
イルームの子が4頭(雄雌2頭)が無事生まれたそうです。
女の子の名前もわかりませんが、
関西で、子供達が活躍してくれればいいと思います。
ディアンの子ができなかったので、ちょっと安心しました。
これで、イルームの子は、16頭です。
100頭まで、あと84頭!
イルームの子が4頭(雄雌2頭)が無事生まれたそうです。
女の子の名前もわかりませんが、
関西で、子供達が活躍してくれればいいと思います。
ディアンの子ができなかったので、ちょっと安心しました。
これで、イルームの子は、16頭です。
100頭まで、あと84頭!
2014年6月5日木曜日
今度のイルームのお相手はサチ
今、交配を行っているイルームのお相手は、サチというそうです。
盲導犬では珍しい、和名です。
なんとなくイルームと相性が遭わないようです。
イルームのテンションがちょっと低いのが伝わってきます。
でも、やる気満々だったディアンとは、妊娠に至らずだったので、相性がよければいいというものでもないのでしょう。
後、残すところ1回。
日曜日です。
頑張れ、イルーム!
盲導犬では珍しい、和名です。
なんとなくイルームと相性が遭わないようです。
イルームのテンションがちょっと低いのが伝わってきます。
でも、やる気満々だったディアンとは、妊娠に至らずだったので、相性がよければいいというものでもないのでしょう。
後、残すところ1回。
日曜日です。
頑張れ、イルーム!
2014年6月4日水曜日
2014年6月2日月曜日
自分自身は、他人の記憶にのみ存在する?
先週末、23年前にお世話になった隣の部の部長と飲む機会がありました。
当時は、新社会人で右も左もわからない状態で、席で議事録だのプレゼンだの、お金にならない仕事を遅くまでやっていました。いつも、20時を超えたころ、声をかけてくれたのがその部長でした。
部長は、会社でも尊敬されており、社長もその求心力を面白くないと感じていたと記憶してます。私も、その部長が好きでした。
当時、稼業の事情から、会社を辞めることになったのですが、退職する旨、挨拶に行ったら、部長は、その日にクビになっていました。
退社日が一緒だったのです。
それから、一度、ご自宅でごちそうになったりしましたが、もう20年以上も連絡もない状態が続きました。
今回は、うちの社員がずっとその部長と仕事をする機会があったらしく、飲み会という運びになりました。
お会いすると、歳はとられましたが、親近感は当時にあっという間に戻ってしまいました。
当時の思い出を、部長がいろいろと語ってくれましたが、
正直、私の方が覚えていないことが多かったです。
一方、部長のことは私が覚えていることが多かったかもしれません。
感じたのは、自分の存在は、他人の記憶の中に生きているんだということです。
自分自身では、その目の前の状況を、自分の感情・感想と一緒に、記憶していますが、自分の姿は記憶していません。
ある意味、自分の存在は、他人がいないと成立しないのかもしれないと、
そんな不思議な気持ちになりました。
当時は、新社会人で右も左もわからない状態で、席で議事録だのプレゼンだの、お金にならない仕事を遅くまでやっていました。いつも、20時を超えたころ、声をかけてくれたのがその部長でした。
部長は、会社でも尊敬されており、社長もその求心力を面白くないと感じていたと記憶してます。私も、その部長が好きでした。
当時、稼業の事情から、会社を辞めることになったのですが、退職する旨、挨拶に行ったら、部長は、その日にクビになっていました。
退社日が一緒だったのです。
それから、一度、ご自宅でごちそうになったりしましたが、もう20年以上も連絡もない状態が続きました。
今回は、うちの社員がずっとその部長と仕事をする機会があったらしく、飲み会という運びになりました。
お会いすると、歳はとられましたが、親近感は当時にあっという間に戻ってしまいました。
当時の思い出を、部長がいろいろと語ってくれましたが、
正直、私の方が覚えていないことが多かったです。
一方、部長のことは私が覚えていることが多かったかもしれません。
感じたのは、自分の存在は、他人の記憶の中に生きているんだということです。
自分自身では、その目の前の状況を、自分の感情・感想と一緒に、記憶していますが、自分の姿は記憶していません。
ある意味、自分の存在は、他人がいないと成立しないのかもしれないと、
そんな不思議な気持ちになりました。
2014年5月26日月曜日
先週1週間は、カナダからのお客さんでした
先週は月曜から金曜日まで、カナダからのお客さんの相手をしていました。
パートナーの会社からこられたのですが、彼女はアジア自体初めてで、異文化に触れる最初の経験でした。
海外からお客さんをお迎えするとき、私は、日本に対して好い印象を持って帰ってもらいたいと、それだけを考えています。日本を好きになってくれて、興味を頂いてもらって、もっと文化を知りたいとか、また来たいと思ってくれるのが一番うれしいことです。
私の会社は小さな会社ですが、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、韓国、香港、シンガポールなど、さまざまな国から来てくださり、気さくにビールを飲んで日本を楽しんでもらって帰ります。
以前、シンガポールの人が、日本に来る前は、祖母から日本は怖いという印象を与えられてきたが、実際に日本人と触れてみると、優しくて、礼儀ただしいと思い、何かおかしいなと感じ始めたそうです。
アメリカ人も、日本人はマジメで堅苦しいと思っていたが、結構パーティアニマルじゃんみたいな、一緒にいて楽しいという印象ももったそうです。
国家間が不安定になることもありますが、人と人とのふれあいによって、緩和することはできると思います。
とにかく、カナダからのお客さんが楽しんで帰っていただいたのがうれしかったです。
パートナーの会社からこられたのですが、彼女はアジア自体初めてで、異文化に触れる最初の経験でした。
海外からお客さんをお迎えするとき、私は、日本に対して好い印象を持って帰ってもらいたいと、それだけを考えています。日本を好きになってくれて、興味を頂いてもらって、もっと文化を知りたいとか、また来たいと思ってくれるのが一番うれしいことです。
私の会社は小さな会社ですが、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、韓国、香港、シンガポールなど、さまざまな国から来てくださり、気さくにビールを飲んで日本を楽しんでもらって帰ります。
以前、シンガポールの人が、日本に来る前は、祖母から日本は怖いという印象を与えられてきたが、実際に日本人と触れてみると、優しくて、礼儀ただしいと思い、何かおかしいなと感じ始めたそうです。
アメリカ人も、日本人はマジメで堅苦しいと思っていたが、結構パーティアニマルじゃんみたいな、一緒にいて楽しいという印象ももったそうです。
国家間が不安定になることもありますが、人と人とのふれあいによって、緩和することはできると思います。
とにかく、カナダからのお客さんが楽しんで帰っていただいたのがうれしかったです。
2014年5月19日月曜日
娘のけがで学校へ
先週、娘の膝にあったイボが大きくなって、小さいのも増えて来たので、切除しました。
手術自体は簡単で、もう傷もくっつくころだろうと思っていた矢先、
学校から電話があり、傷口が開いてしまったと。
学校に迎に行くと、膝から出血している娘がいました。
それほど痛がってはいなかったのですが、
縫った糸が切れてしまっているというので、
すぐに病院に連れていきました。
医者は開口一番
「最悪な状況だ」
でした。
うんも言わさず、傷口に麻酔注射、
そして、再び縫い合わせ。
これには、我慢強い娘も、泣き声をあげました。
そりゃそうだよ。痛そうだもん。
でも、よく頑張って、
傷口もふさがりました。
もう抜糸まで、ドッチボールは禁止です。
あたりまえだろ!!!
娘を迎にいくと、
理事、教頭先生など、お偉い先生がいらっしゃいました。
「お~今日はどうした?」
と、声をかけられました。
実は、私の母校に娘が通っており、
当時の先生がえらくなってそのポジションにいるのです。
「がんばれよ」といわれ、
娘とわたしが、同時に
「はい」
と、応えてしまいました。
う~、いつまでたっても、教え子ですからね。
仕方がない。
手術自体は簡単で、もう傷もくっつくころだろうと思っていた矢先、
学校から電話があり、傷口が開いてしまったと。
学校に迎に行くと、膝から出血している娘がいました。
それほど痛がってはいなかったのですが、
縫った糸が切れてしまっているというので、
すぐに病院に連れていきました。
医者は開口一番
「最悪な状況だ」
でした。
うんも言わさず、傷口に麻酔注射、
そして、再び縫い合わせ。
これには、我慢強い娘も、泣き声をあげました。
そりゃそうだよ。痛そうだもん。
でも、よく頑張って、
傷口もふさがりました。
もう抜糸まで、ドッチボールは禁止です。
あたりまえだろ!!!
娘を迎にいくと、
理事、教頭先生など、お偉い先生がいらっしゃいました。
「お~今日はどうした?」
と、声をかけられました。
実は、私の母校に娘が通っており、
当時の先生がえらくなってそのポジションにいるのです。
「がんばれよ」といわれ、
娘とわたしが、同時に
「はい」
と、応えてしまいました。
う~、いつまでたっても、教え子ですからね。
仕方がない。
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