2014年6月2日月曜日

自分自身は、他人の記憶にのみ存在する?

先週末、23年前にお世話になった隣の部の部長と飲む機会がありました。
当時は、新社会人で右も左もわからない状態で、席で議事録だのプレゼンだの、お金にならない仕事を遅くまでやっていました。いつも、20時を超えたころ、声をかけてくれたのがその部長でした。

部長は、会社でも尊敬されており、社長もその求心力を面白くないと感じていたと記憶してます。私も、その部長が好きでした。

当時、稼業の事情から、会社を辞めることになったのですが、退職する旨、挨拶に行ったら、部長は、その日にクビになっていました。

退社日が一緒だったのです。

それから、一度、ご自宅でごちそうになったりしましたが、もう20年以上も連絡もない状態が続きました。

今回は、うちの社員がずっとその部長と仕事をする機会があったらしく、飲み会という運びになりました。

お会いすると、歳はとられましたが、親近感は当時にあっという間に戻ってしまいました。
当時の思い出を、部長がいろいろと語ってくれましたが、
正直、私の方が覚えていないことが多かったです。

一方、部長のことは私が覚えていることが多かったかもしれません。


感じたのは、自分の存在は、他人の記憶の中に生きているんだということです。
自分自身では、その目の前の状況を、自分の感情・感想と一緒に、記憶していますが、自分の姿は記憶していません。

ある意味、自分の存在は、他人がいないと成立しないのかもしれないと、
そんな不思議な気持ちになりました。

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