昨晩は、娘を叱りました。
親としては失格なのかもしれませんが、私は、娘を叱るのがとても嫌です。
厳しく言うのも嫌だし、悲しい気分にさせるのも嫌だし、
昨日みたいに、激しく泣かれたりすると本当にブルーになります。
勿論、叱っている最中はそんな表情は見せませんが、
「早く、素直にごめんなさい」と言ってくれと心の中で懇願しながらしかってます。
私の娘は頑固です。
素直に自分の非を認めないし、
8歳なのに、理屈で言い返してきます。
その理屈は、まだ幼稚で間違っているので、叱るしかないのですが、
この頑固さには、ある意味、期待しているところもあります。
しっかりと自己主張をできるようになれば、
将来的にはディベートができるようになり、
これからの社会では、最も大切な交渉技術を持つことになるからです。
海外とのディベートは、日本の価値観とは違うところがあります。
それは、
「自分の主張を正当化できる。または、正当であるようにみせる。」
ことです。
よく、アメリカ人は、謝らないと言われます。
アメリカ人は、人にぶつかったり、差し障りのない範囲では、
実は、謝ります。
Excuse me. とか、I am sorry. とか、良く使います。
しかし、一旦、訴訟される可能性があると感じた時は、断固として謝りません。
自分の主張をしっかりと正当化してきます。
本当のところはどう感じているのかよりも、
自分の正当性をどう主張できるかに注力します。
ここが日本人の弁論と違うところでしょう。
日本はまだまだディベートが育たない文化です。
ディベートのかわりに、根回しの方が重要だからです。
スピーチも、定型文を如何にスムーズに使えるかに重きをおいているので、
殆どのスピーチが同じようなものでつまらないです。
日本人は和を尊重します。
だから、ディベートのように戦うことよりも、
戦いをさけて、事を成すように根回しします。
そこには、共通の価値観というものがあります。
しかし、海外の人と本当に共通の価値観があるのでしょうか?
話を娘にもどします。
娘は小学3年生で、通学に一部スクールバスを利用しています。
上級生ともバスが一緒になるのですが、
上級生がバスの中で騒いでいるのを、娘は注意したそうです。
そしたら「上級生に向かってそういう文句を言うな」と、責められたそうです。
日本には、儒教の文化もありますので、「年上」に意見をすることは、
生意気なことという価値観があるので、この上級生が娘を責めるのも、
容易に想像がつきます。
娘は、「上級生には、間違ったことをしていても注意をしてはいけないのか?」と、
聞いてきました。
なんでもないような日常の話ですが、私は娘のこの質問をとても高く評価しています。
儒教の和を尊ぶところを重視し、正義を曲げてしまうことは、
日本の企業の隠蔽や偽装問題という結果にもなるので、
小さいころから、こういった矛盾に目を向けることは大切なことだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。