DVDで韓国ドキュメンタリー「牛と鈴の音」を妻と鑑賞。
老人は、左足が不自由な農夫である。
この老人の農作機であり、車であり、そして心の友であるのが、40歳になる老牛である。
他の農家は、耕作機械と農薬をつかうが、老人は、この牛と田畑を耕し、牛にやる草を守るために、農薬を使わない。足が不自由なため、這いつくばって、牛にやる草をとり、田畑を耕す。
老人の奥さんは、それをみて文句が絶えない。この老婆も、体力的にも限界なのだ。
いや、老婆は、老人の体を思い、仕事を辞めてもらいたいと思っている。
老夫婦には子供達がいる。子供たちからの仕送りをもらえば生活はなんとかしていける。
しかし、子供達に気を使って生きたくない。老人の思いだ。
老婆もそれをしっている。
そして、「この人が死んだら、私は生きていけない」ともらす。
「この映画を見て涙を流さない人は人間ではない」と言われている。
私は、涙が出なかった。人間ではないのだろうか?
私には、この老人が幸せに見える。
口うるさいが老人を愛情いっぱいで見守る老婆がいて、
愛情を一杯注げる牛とともに働き、歳をとっていく。
子供達に媚びることなく、与えられた命が続くかぎり、
もくもくと、牛とともに、自分の田畑を耕す。
機械や農薬を使わず、自分の信念をもって。
命が続く限り、生きていることが許されるかぎり、
愛情をもって、もくもくと自分の仕事に取り組めるのは、幸せなことだ。
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