2012年4月25日水曜日

英語帝国主義の中で

社内公用語に英語を採用したり、入社要項にTOEICの点数を設定する企業が増えている。 英語力は、今後も増々必要とされるのは確実だ。 

グローバリゼーションは、必ずしも全員に必要なものではない。 今後も相も変わらず日本語だけで、生活できる人はいる。 そういう社会であり続けて欲しいのが、私の本音だ。 それは、日本の国力が強く、安定した生活がおくれるということを意味するからだ。 

では、その日本の揺ぎ無い国力を信じて、自分の子供の教育を考えられるかと聞かれれば、 答えはNOだ。 

英語帝国主義は、増々拡大している。 実はこれこそが、グローバリゼーションの実態ではないかと思う。 一歩日本を出ると、英語できないだけで「差別」される。 人種差別ではなく、言語差別だ。 この言語差別というのは、差別している方はそれを差別だと思っていない。 だから、癖が悪い。

ビジネスの世界だけではない。飛行機の中、ホテル、レストラン、道を尋ねる時、 英語しゃべれないと、露骨に嫌な顔されることがある。 彼等にとっては、「英語話せない=教養がない」なのだ。 

この言語差別は、米国や英国に限ったことではない。 シンガポールでも、香港でもそうだ。 では、日本や韓国ではどうか? 確実に広がっている。 海外で勉強した学生が帰国し、「英語話せない=教養がない」を、何の疑いもなく、展開しているからだ。

 当たり前の話だが、この英語帝国主義は 圧倒的に英語を第一言語としている国民に有利だ。 母国でろくな仕事にもつけない人間が、日本では英語教師としてやっていける。 日本語という特殊言語で守られていた日本の市場も、 遠からず英語に支配されて行くだろう。 TPPなんかやったら、入札仕様書まで英語にさせられるのではないかと懸念してしまう。 

では、英語を礼賛し、日本語を軽視していくか? そんなことしたら、日本人は日本人でなくなってしまう。 日本の言霊がいなくなっちゃうじゃないか!!

 日本人にとって、言語とは、日本語のことだ。 日本語が母国語であり、英語は道具だ。 英語という道具を使える人間はこれから、わんさか増えていくだろう。 英語が話せるというだけで、職があったり、憧れの的になったりというのは、もう過去の話になる。 

日本人は賢い!

英語なんていう道具は、とっとと使いこなして、 英語しか話せないくせに人のことを無教養なんて言うような奴らにギャフンと言わせたい。 

私の子供には、母国語である日本語のなかで文化・教養・哲学をしっかり持ち、 英語という道具を、ネイティブなんかに負けないくらい使いこなす 人間になってもらいたい。 

文化を失った英語が話せる奴隷など、育てるつもりはない。

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