2013年11月14日木曜日

百済からきた王任(わに)博士


王仁(わに)は、286年に、日本に来た百済の学者である。
千字文や、論語を日本に伝えたと言われている。


王仁は、15代応神天皇に招かれ、息子の教育をまかされる。
応神天皇の母は、三韓征伐を行った神功皇后である。この時に、おなかの中にいたのが応神天皇だ。

王仁は、以下の和歌を読んでいる。

難波津に
咲くやこの花
冬ごもり
今は春べと
咲くやこの花
(難波津に、花がさいたよ。冬ごもりから、今は春になってこの花が咲いているよ。)

王仁が優れた学者であったことは間違えないだろうが、当時、日本と百済はとても近い関係にあったようだ。また、この和歌から感じるのは、百済語は日本語と非常に近かったのではないかと思う。

百済は後に唐と新羅によって、つぶされてしまうが、この時、中大兄皇子が態々百済側にたって戦争に行っている。白村江の戦い(663年)だ。

日本と韓国の古代史は、面白い。







0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。