2021年7月4日日曜日

犬の癌治療は本当に必要なのか?

 FaceBookの過去を振り返ろうと出てきた四年前のイルームの写真。

ふざけて、右耳を持ち上げてとった写真に、昨年切除したガンがしっかりイボのように写ってました。

この時から、盲導犬センターには言ってはいたのですが、「大きくならないければ様子を見ましょう」と観察だったのを覚えています。この頃は、肥満細胞腫とうガンの知識もなかったので特に気にはしていませんでした。

イルームの引退が決まり、去勢のため全身麻酔をするので、気になるところの処置として、歯垢を綺麗にするのと、この耳のイボと、目の小さな出来物をレーザーで取ることとしました。イボは念の為病理検査に送りましょうということで送った結果がガンだったわけです。

ステージ2で転移がなければ余命は二年くらい、あれば2〜6ヶ月と宣告されました。2回目の手術で、耳を大きく切除し、周りの細胞にもリンパにも転移が見られなかったということですこし安心していましたが、今回、後ろ足に肥満細胞腫が見つかり、前回とは違う獣医から一年前後と余命宣告されました。

疑問は、この四年前の写真。

大きさもほぼ変わらないこのイボが、4年前に病理検査に出されていたらその時点で余命二年とか言われていたのではないかということ。

10数年生きている犬は、イボやら出来物やらあっても不思議ではなく、ちゃんと検査すればそれが癌なのかもしれない。気付かなければ、手術も抗がん剤も使用せずそれなりに生きるのではないかという気もします。

本当に癌治療は犬にするべきなのか?

答えは出ないでしょうが、考えさせさせられます。

2021年6月29日火曜日

イルームの癌が再発

 今年でイルームは9歳になりました。

書き残してはいませんでしたが、昨年の8歳の誕生日を迎えてすぐに、イルームが立てなくなる朝がありました。腸捻転やヘルニアを疑ったのですが、病院に連れていき車を降したと同時に歩きだし、それまでの状況が嘘のように元気になりました。


それでも、跛行をする日が増えたり、体中に赤い出来物ができたりしたので、盲導犬センターでみてもらうこととしました。レントゲン検査や、複数の獣医さんにもみてもらったのですが、血液検査も含め特に異常はなかったのですが、跛行の頻度が増えてきたので繁殖犬を引退することとなりました。

2020年の6月に、去勢手術のための健康診断などをおこない、7月17日に去勢手術を受け引退しました。その時、前から気になっていた耳のイボもとってもらい、検査したところ肥満細胞種という癌であったことが判明。

これから隠居生活がはじまるのに、目の前が真っ暗になりました。

病理検査でステージ2であることがわかり、大きく周りの細胞をとるために再手術を行うこととなりましたが、しばらく間を開けることとし、7月の終わりからはドックフードをやめて、卵やお肉中心の食事に変更しました。もちろん味付けはなし。体の出来物もなくなり、跛行もなくなり、夏は元気に川遊びしました。

10月に耳の再手術を行い、26針縫うことに。周りの細胞やリンパにも転移はなく、これで終わったなあと安堵できました。

しかし、2021年の6月27に家内が左のお尻に腫れがあることを見つけました。28日に検査をおこない肥満細胞種の再発であることを確認。

あまり明るい話でもないですが、これからをメモとして残しておこうと思います。

2020年5月15日金曜日

名栗川で夏はじめ 2020

今年で8年目のイルームとの夏です。

最初の夏は、まだ予防注射が終わっていなかったので川には行けませんでした。
次の年、盲導犬の訓練が終わり、繁殖犬として我が家に戻ってきたイルームと念願の川遊びに行きました。

小学生の時、喜んで川遊びについてきた子供達も中学生になってからは付いてくるもなく、今ではイルームと二人だけの楽しみになってます。


2020年5月14日木曜日

8歳になった愛犬イルーム

5年ぶりにブログ書きます。

2020年4月29日に、盲導繁殖犬のイルームは8歳になりました。誕生日の2日前に、一日起き上がれないという事態が起きました。突然のことで驚きましたが、1日安静にさせて歩けるようになり安心しました。(詳細は別記します。)

5年ぶりにこのブログにログインをして書き残しておこうと思ったのは、シニア期に入ったイルームの日々の様子を少しでも書き残しておこうと思ったからです。ラブラドールの平均寿命は13年くらいと言われています。最近では15、16歳まで生きるケースを珍しくないそうです。それでも、半分の折り返し時点なのだと実感した出来事でした。

イルームの口の周りには白い物も増えました。散歩も1日30kmしていた頃が遠い昔に感じられます。今では、散歩を断ることもあります😅

そういう私も52歳。イルームと程々の暮らしを楽しんで生きたいですね。

2016年2月18日木曜日

ミャンマー旅行(2)

ミャンマーの今後の経済発展も興味があるところだが、仏教国としてのミャンマーにも興味があった。実のところ、観光は仏教関連のものしかないのですが。

連日、寺、仏像、仏塔の繰り返しです。
仏教に全く興味がない人には辛い旅でしょう。

ミャンマーの仏教は、小乗仏教です。
小乗仏教という呼び方は、大乗仏教からの軽視した呼び方とも言われており、最近では上座仏教とか、テーラーワーダ仏教とか呼ばれているそうです。ミャンマーのガイドに聞いたら、別に気にしていないということでしたが。3人のガイドに、日本の仏教について聞いてみましたが、「大乗仏教なので、別物です。」と、同様の回答が帰ってきました。

彼らにとっての仏教は、もっと生活に密着したものです。人生が仏教の枠組みで流れているようにも感じました。子供が生まれるとなるべく早く出家させるそうです。出家といっても1週間ほどのプチ出家です。親元を離れ、 昼の12時から朝の4時半までは、食事をしてはいけないという団体生活を5歳くらいの子が行います。出家させるために、親は1年分の所得を費やしたりするそうです。ゴータマ・シッダールタが、出家した時のように、馬に乗せて、村中の人に食事を振る舞いと、盛大にするそうです。

子供が小さいうちに出家させるのは、子供の死亡率が高いこともあるそうです。死ぬ前に、少しでも徳を積ませておいて、もし死んでも来世はその徳で、少しでもよく生まれ変わって欲しいという親心ですね。

2回目の出家は18歳の時で、この時に、僧侶になるかどうかを決めるそうですが、96%は、在家を求めるそうです。全ての快楽を断ち切る生活を18歳でするのは、難しいと思います。50歳くらいで、強制出家があれば、そのまま僧侶になる人は増えると思いますが、そんな定年僧侶を支えるとなると在家の布施は大変なことになるでしょうね。

僧侶の生活では戒律が守られています。
結婚もしませんし、お酒も飲みません。
お金にも直接ふれないそうです。

在家になり変わって、厳しい戒律のなかで徳を積み、
在家は、布施をすることによって、徳を積む。

子供の僧侶が、お寺で座禅をしていました。
すでに何かを悟ったようなオーラがありました。

そんな横で、日本からきた坊主の団体が、ディナーショーで、酒を飲みながら、大声で笑い、バンドや踊り子にチップを渡している姿をみて、恥ずかしく、腹立たしく感じました。

2016年2月13日土曜日

ミャンマー旅行(1)

ミャンマー旅行に行ってきました。
会社の会長と部長と3人で。3人で海外は、フィラデルフィア以来になり、もう10年は経っているかもしれません。

3人とは、20年以上の付き合いになりますが、3人で写真を撮ったのは今回がはじめてで、良い思い出になるでしょう。

ミャンマーを選んだのは、急速な経済発展があると予想しており、その前に見ておきた買ったからです。ビルも少なく、人々も大半が民族衣装で、日本や韓国で使われていたバスがそのまま走ってます。




ミャンマーが急速に変わろうとするきっかけはやはりアウンサンスーチーさんでしょう。彼女のお父さんアウンサン将軍は、独立の父と呼ばれ、今で国民の尊敬を集めている。スーチーさんは、父の血を引き継いでおり、数ヶ月前まで、家に監禁されて ました。湖のほとりで、大きな屋敷でしたが、軟禁となると苦しいでしょう。その家の前で、一枚撮った写真です。



アウンサン・スーチーさんは、軍の勢力と折り合いをつけながら民主化を成し遂げなくてはいけないようですが、お兄さんが軍の勢力と組んで邪魔しているそうです。なので、スーチーさんは、お兄さんにアメリカやイギリスに大きな家を買ってあげて、ミャンマーでもバカンの河のほとりに大きな屋敷を買ってあげたそうです。iPhoneでは遠すぎて写真をとれませんでしたが、その家から見える夕日の写真です。



ミャンマーは、日本の面積の1.8倍で 、人口は約5,000万人。土地は、平地が多く、海もあり、大きな河もあり、輸送の観点からは良い土地柄です。また、石油や天然ガスもあり、農業も盛んで、自給自足ができる国です。国民は、上座仏教徒で争いを好まねい優しい国民性で、今のところ民族衣装をまとい、外食は好まず、足を知る生き方を実践しているようです。掃除もしっかりしているので、路端のゴミもないことから、モラルもしっかりしていると思います。あらゆる面から、希望のある国だと感じました。

逆に、国を開放することによって、貧富の差がでてくることにより、住みにくい国にならないかが懸念です。

2015年10月21日水曜日

墓を開けてみました

再来週、父の49日の法事を終えたあと、納骨をします。
先祖代々のお墓があるので、そちらを開けて納骨する必要があります。

お通夜、法事と家族葬で進めてきており、できる限り葬儀屋を通さず家族の手で進めようとしています。

ので、納骨も自分でやろうかと。
今まで、お墓を開けるなんて全くのタブーでした。
どうも、気持ちが悪いというか、不敬な感じがしました。

今朝お墓に行き、しばらくお墓の前で、YouTubeなどで納骨の仕方など検索し、「結構皆さん自分でやってるじゃん」と勇気付けられたので、決心して開けてみることにしました。当家のお墓は、ちょっと違い、お墓の前の重い石板を動かし、お墓のしたに大きな穴があるというもので、検索したのとは勝手がちがいました。

いくつか骨壷があり、思わず「ごめんね」と声に出してしまいました。
考えてみれば、検索でみたのは新しいお墓だったので、もうすでに骨壷があるケースがあったのかどうかは、後の祭りです。

ただ、一度開けてみると、「何だ、こんなものか」という感じで、
タブー視する必要なんかないなと、思えました。

これで、石屋を呼ばないだけでも、数万円セーブです。

2015年6月30日火曜日

今更ながら、サッカーの試合での旭日旗

いまさらなのだが。

サッカー観戦で、旭日旗が出ると韓国人は、とても怒る。
旭日旗は、日本の自衛隊旗でもあるのだから、「言いがかりをつけられても」と、困惑する。

でも、もし2020年の東京オリンピックで、中華人民解放軍の軍旗や、大韓民国の海軍旗がたてられたら、やはり政治的意味を考えてしまう。


2015年6月3日水曜日

私も胃がやられちゃいました。

3か月半ぶりの更新。

最後に更新した日は、かなりの深酒をしてしまい、その翌日から本日まで断酒している。

深酒のせいもあったが、ここ最近ムカムカ感があり、26日の胃カメラ検査まで禁酒することにした。
検査で、胃も食道も荒れており、その日から、胃酸をおさえる薬を2か月飲んだ。

ゴールデンウィーク前に薬をもらっておこうと、病院に行った際に、「十二指腸潰瘍だ」と言われるが、「治っている」ともいう。はっきりした病名が分からなくなり、「何のために、いつまで薬を飲み続けるのか」と質問すると、「そんなに猜疑心をもっているなら、薬をやめたらいい。すぐに元に戻って後悔するから」という。

その乱暴な物言いに、しばらく意味がわからなくなったが、その他にも、
「心ある人なら、食事に気を付けて薬をのまないこともできないことではない。」
「あなたの体のことを考えて言ってあげているのだから、素直に聞くべきだ。」

と続く。これは、聞き間違えではないので、

「私は、いつまで薬を飲み続けるのかと質問しただけで、そのような喧嘩を売るような言葉を聞く必要はない。たとえ、身体が悪化したとしても、あなたに診てもらう気が全くしなくなった。ので、これで打ち切りとしてもらいたい」

と、伝え病室を出た。


帰宅して妻につたえると、「せめて薬だけでももらって出てくればいいのに」といわれた。

いああ、ごもっとも。

でも、今は薬を飲まずに1ヶ月やっている。

来週は、ずっとアポをまった大学病院に行ってみよう。

2015年2月20日金曜日

大動脈瘤、脳梗塞、スキルス性胃がんを乗り越えて(1)

昨日、親父(79)の胃と脾臓の全摘出手術が無事終了した。
紆余曲折が多く、書き残すこともしなかったが、ここでひと段落したので、整理しておきたい。

昨年(2014)の秋、「飲み込みにくい」という症状を訴え静岡の癌センターで検査を受けたのが始まりであった。CTのみで、食道癌の疑いがあると診断されたが、同時に心臓に大動脈瘤が見つかった。

大動脈瘤は、破裂すれば致死率が非常に高い病気なので、こちらが優先されることとなり、静岡県立総合病院を紹介された。10月から、様々な検査がはじまり、12月12日に手術のため入院、16日に手術する予定であった。

15日に、首の血管に異常に細いところがあることが発覚、脳梗塞に陥る可能性が高いと言われ、中止も検討される。16日の午前中に脳外科の検査結果を待ち、脳には血液が回っているので、午後に手術をすることとなった。

大動脈瘤の手術は、肋骨を切り外し、心臓につながっている大動脈を人工血管に交換するというもの。体温を下げ、心臓をとめて仮死状態にしながら、機械で血液を循環させた。手術は、予定よりも大幅に長くなり、母、家内、子供達二人と集中治療室の前で8時間ほど待った。

手術が終わり、集中治療室に移さされた父は、冷たくなっており、手術の危険性がうかがえた。手術は成功であったが、その後、脳梗塞を起こし、膝が動かないという症状がでて、このまま半身不随になる危険性がでてきたと医師より説明された。ステロイドを投入し、3日間集中治療室にのこることとなる。早期のステロイド投入で、半身不随は間逃れた。

執刀医は、30代前半の若い先生(佐藤博文先生。伊藤博文と一字違い)であったが、とても優しく、説明も明確で、その後の癌治療の手配も担当でもないのに、親身になってしていただいた。この先生には、いつか改めてお礼をさせていただきたい。

退院は年末予定であったが、心臓に水がたまり、正月休みの危険性もあるので、1月8日まで延期となった。






2015年1月20日火曜日

登校日 今日も行けずに ママごめん

娘の学校のお友達の話です。

その男の子は、いじめにあい、一年間学校に行けずに、ついに辞めてしまいました。身体的なイジメではなかったそうですが、ノートに「死ね」と書かれたり、日常的にバカにされたりと、精神的に追い詰められていたそうです。お母さんは、「学校に行きたくないなら行かなくて良い」と、登校を無理強いはしませんでしたが、公園でお弁当を一緒に食べることだけは続けたそうです。全く、笑わない子になってしまっていました。

私立小学だったので、思い切って退学し、公立に転校しました。

その親子が、学校を辞めて、半年くらいしてから、家に泊まりで遊びに来てくれました。
私は、その子がイジメられていたこともしらなかったので、笑顔が可愛くて、素直ないい子だなと思いました。娘とも無邪気に、はしゃいで遊んでいる姿は、登校拒否していたなど、全く想像もさせませんでした。

お母さんから、その話を聞いて知った次第です。
娘に聞くと、「学校にいた頃と、全然性格が違うよ」と言っていました。

本当に、その学校を辞めてよかったし、また、お母さんが毎日公園に連れ出したことに感動しました。

昔は、「子供の喧嘩に親が口出すな」などと言われていましたが、いまの時代は、子供の問題に積極的に関与するのが親の務めだと思います。

娘もイジメられたことがあり、そのことを隠そうとしましたが、
「イジメは、犯罪だ。犯罪を黙ったいたら、そいつらに加担することになる。放っておいたら、他の子もいじめられることになる。絶対に許してはいけないのだから、正直に言いなさい。」と説得し、聞き出したら、そのまま学校の先生に相談に行きました。

娘へのイジメはすぐになくなりましたが、その男の子をいじめていたグループだということが今回わかりました。

イジメは、子供達では解決できません。
大人が関与しなくては、止めることができません。
イジメを放置するのは、大人の犯罪です。




2015年1月15日木曜日

富士のもと 父母ともに寝たきりに

11日、母がイルームと遊んでいる最中、椅子から転倒してしまった。
救急車で富士宮市の救急病院に運ばれ、脊椎圧迫骨折と診断された。
富士宮市内では、休日に入院を受け入れてくれるところがなく、静岡市立病院に救急車で1時間搬送された。

入院するためにいったのだが、5時間待たされて、問いただすと救急のベットで寝かされたままであった。さらに、入院しない方が良いという。入院しても、痛み止めを与えて、寝かせるだけなので、認知症も進むというのが病院の説明だった。車椅子に乗せるだけで、痛みで吐いてしまう程苦しんでいる状態であったが、なんとか車に乗せて富士宮まで1時間以上かけて戻った。

父が心臓の手術を受け退院して3日後だったので、父母ともに寝たきり状態だ。翌日、残して帰るのは、心配であったが、「大丈夫」と言い張るので、残してきた。

13日、電話しても応答がなかったので、夕方から行ってみると案の定、母が床に座りこんで立てない状態で、 父もそれをただ見ているだけの状態であった。

14、15日は、なんとか二人でやれているようだが、ちゃんと食べているのか。。


2015年1月9日金曜日

散歩好き 金色朝日と 白い富士 (居流夢)



今年は、狭山湖・多摩湖からも連日富士山が綺麗に姿を見せてくれています。
イルームと散歩しながら、狭山湖の堤防からとった朝日が、綺麗に地元を金色に輝かせてくれていました。

昨日は、盲導犬センターからイルームの子供が無事8頭生まれたと連絡がありました。
18日以降に面会もできるとのことなので、楽しみにしています。


2015年1月8日木曜日

ミュージシャン 取り上げ左右 語るバカ

2014年の紅白に出場したサザンのライブが、「反日だ」という声が上がっている。
桑田は在日だとか、サザンは南朝鮮を意味するとか、あれこれ想像力を駆使してまくし立ててる。

しかし、ミュージシャンなんて、Love, Peace, 反戦は、お約束のカバー分野であるし、体制への反発こそがロックを生んだのだ。

桑田さんなんか、まさにその真っ只中でロックしてきた世代だし、
ビートルズの作曲の層の広さに加えて、ボブデュランやジョンレノンの思想的影響を受けていることは、数十年サザンが流れていた日本では、知っていて当然だろう。

私は別に、桑田佳祐やサザンオールスターズのファンではないが、ミュージシャンが主張するLove&Peaceにいちいち政治的なものを照らし合わせて、批評するのは馬鹿らしい。

固定されたものに風穴を開けている風に見せるただのパフォーマンスでしたかない。
ミュージシャンは所詮ミュージシャン、政治家でもなければ、国際関係の専門家でもない。

それよりも、なぜNHKが30数年ぶりに、サザンを出したのか。それも数日前決定で、ほぼ自由な選曲で。そのあたりの意図はしりたいね。こちらにこそ、政治的主張を感じる。

2015年1月7日水曜日

狭山湖を 遠く見下ろす 白い富士


冬休み中は、間近に大きな富士を見ることができましたが、地元に帰って狭山湖から見える富士も好きです。

今朝は、イルームとたっぷり3時間散歩しました。

正月でなまった体に、リセットがかかりました。

2015年1月5日月曜日

仕事はじめでした。

事始め 駅まで追うは 愛娘。

1月5日は、仕事始めでした。
駅まで通勤する私の後を、追いかけてくる娘の足音が嬉しく響きました。

最初の仕事は、昨年末に失礼をしたお客様に謝罪も含めた新年のご挨拶でした。
快く許してくださったので、感謝です。

2015年1月3日土曜日

三ヶ日 富士を仰ぎて 晴れ心

2015年の正月三が日は、富士山が綺麗にその雄大な姿を見せてくれました。

イルームと、3日はイルームと6時間散歩しました。
ず〜と、富士山が綺麗に見えるので、全然疲れを感じませんでした。




あまりにも美しい日なので、勢いで長者ケ岳に登っちゃいました。

富士山、田貫湖、駿河湾が一望でき、最高の新年のプレゼントをいただきました。


2015年1月1日木曜日

初富士や 心を寄せて 手を合わす




明けましておめでとうございます。


今日の富士山と初日の出は、とても綺麗でした。
2015年が、良い年であるだろうと告げてくれているようでした。


2014年12月27日土曜日

風邪ひいた パパのとなりで クリスマス (居流夢)


22日から、風邪を引き、クリスマスイブは完全にダウンしていました。
イルームは、散歩も要求せずにずっと隣で添えねをしてくれました。

体調が悪いのがわかっていたみたいです。
ただ、ただ隣に寄り添ってくれるのは、嬉しいものです。


2014年12月10日水曜日

冬国に 獅子の国より 友来る(居流夢)

今日は、シンガポールから友人夫妻が来日します。
到着は、夜10時なので会うのは明朝になります。

週末は、富士にお連れするので、スタッドレスタイヤに交換です。

「冬国に 獅子の国より 友来る」(居流夢)