2013年5月29日水曜日

イルームが去って、寂しい日がつづいています

イルームが盲導犬センターに入所してから、ポッカリ何かが無くなってしまったような日が続いています。

翌日に、イルームと散歩していた道を歩いたみたのですが、まったく景色が違いました。
イルームと歩いた道だから、特別だったんだな~と感じました。

帰宅すると、子供達が「イルームがいな~い」と、当たり前の言を口にしては沈んでいました。
なので、気を紛らわすためショッピングセンターに行きました。

「イルームがいなくなって寂しい」と何度言っても、戻ってくる訳ではないのですが、
我が家では、それを言うのを無理に止めようとしないことに決めました。

今、自分がどういう気持ちなのか。
それが何が原因なのか。

それをしっかり把握して、向き合うのがいいと思います。

無理に押し殺しても、ほかに影響しては困るし、
将来、辛いことや悲しいことが子供達が直面しても、
その時の気持ちは何か、その原因は何かを把握できれば、
感情のコントロールがうまい子になれると思います。

他所のパピーさんに、一人っ子の娘さんがいらっしゃいました。
ずっと、入所式のとき、涙を流してました。
私も一人っ子だったので、その子の気持ちが良くわかります。

寂しいよね。
早く、次のパピーがきて、またハッピーな日が来ればいいね。

我が家も、徐々に立ち直っていきます。
しばらくは、子供達を甘やかしちゃいそうですが。

2013年5月27日月曜日

イルームの入学式

昨日は、イルームの盲導犬センターへの入学式でした。
2011年7月1日から、家族の一員として約11か月、中心的存在でした。
まずは、家族全員からイルームに、ありがとう。
そして、無事にトレーニングに参加できることに、おめでとうと伝えます。

入所式には、イルームの兄弟とそのご家族8組が参加しました。
1年間を振り返って、それぞれの家族から一言を送りました。
うちをはじめ、どのご家族もお父さんは挨拶せずに、お母さんや娘さんがその役を務めました。

これ本当にわかります。
男は、泣くわけにいかないのです。
でも、一言でも発したら、きっと持ちこたえることができなかったでしょう。

他所のご家族の涙ながらのご挨拶を聞いているだけでも、
こみ上げてきてしまい、ずっと「カンナムスタイル」を心の中で繰り返し、
誤魔化していました。不謹慎でも、それしか方法がなかった。

うちは、娘がその役をやってくれました。
ありがとう。

イルームは、トレーナーの方と尻尾を振りながら元気に犬舎に向かいました。
明るく旅立つ姿は、本当に救いでした。
でも、のこされたカラーとリードを手にすると、やはり何度も寂しさが込み上げてきました。

カラーとリードを、いつも散歩のときに使っていたウェストバックに詰めると、
今度は、ポッカリと心に穴が開いてしまったようで、
「これから何したらいいのか」という感覚でした。

最後に、パピーウォーカーをされたご家族の皆様と、懇親会をしたのですが、
本当に頭の中が真っ白で、何を話したらいいのかわからなかった。

家に帰ると、やはり子供たちは、ポツポツと寂しさを言葉にします。
「言ってもしょうがない」と言わずに、その寂しさを無言でも共有することにしました。
家族で、イルームに精一杯の愛情を注ぐことも共有し、そして今の寂しさも共有しています。
本当に、家族はいいなと思います。同じ感情を共有できます。

イルームの入所日が決まってから、このブログは更新しませんでした。
なんか、言葉にできなかったのです。
その代り、残された時間いっぱいにイルームに愛情を注ぎました。

散歩もたくさんしたし、沢山撫でたし、ブラッシングもしたし、遊んだし、隣で毎晩寝たし。。
入所の3日くらい前からは、散歩中に何度も涙がでました。
その度に、イルームを抱きしめて、「ありがとう」と伝えました。

家族に、「イルームとの時間で、悔いは残ってないか?」と聞くと、
全員、「悔いがない」と言います。

これは、時間限定であったからでしょう。

悔いが残らないくらい、愛情を注いだからこそ、
今の寂しさも共有できるのだと思います。

イルームには、まだ「繁殖権候補」という可能性が残っています。
「繁殖犬になって、戻ってきてほしい」と子供たちは繰り替えします。
そうでしょう。正直な気持ちです。

でも、「パパは?」と聞かれると、
「そのことは考えてない」と伝えてます。

それは、もう私たち家族の判断ではないし、そう思ったところで、どうこうできるものでもないからです。

大切なのは、私たちがイルームと与えられた時間を、
悔いが残らないくらい、精一杯の愛情を注ぐことができたということです。

パピーウォーカーのボランティアをさせていただいて、
一番大切な子供たちへの教育はこれだったのです。

自分達が与えられた時間と機会の中で、精一杯の努力をする。
その結果は、自分達の手を離れたところにあれば、
もう、そのことについては、あれこれ考えたり、神頼み(笑)をしたりしない。

精一杯の努力の後は、お任せです。

本当にすばらしい11か月間でした。
イルーム、ありがとう。

2013年4月22日月曜日

イルームとの散歩について

今週末は、イルームの最後のトレーニングでした。
土曜日の夜に富士に行ったのですが、ミゾレがふっており、辺りは白く、とても春とは思えない陽気でした。

当日は、朝から大雨が降っており、イルームを散歩に連れて行くこともできないまま、トレーニングに行きました。体力が有り余っているイルームは、兄弟達をみるととても興奮してなかなか落ち着いてくれなく、引っ張られるたびにその力に「大きくなったなあ」と感じました。

1年経つと兄弟でも、顔つきや体つきが違ってくるものです。
それでも、全頭ともいい子で、穏やかであることは、やはり遺伝なのでしょう。
来月26日から、みんな本格的なトレーニングに入るため、我々パピーウォーカーとはお別れですが、立派な盲導犬になってもらいたいです。

よくトレーニングに行くと、イルームの散歩量について聞かれます。
毎日少なくとも7km、平均で10km、週末には20km以上は散歩しています。
雨の日や、出張中は、散歩はしていません。

ご飯の量は、今は1回220gのドックフードを一日2回。
1回目は、朝5:30、2回目は夕方5時くらいにあげてます。
散歩をしない日は210gに減らします。
逆に20kmとか、散歩したときは240gあげるときもあります。

散歩の仕方は、基本は歩きです。
時間がないときや、ちょっと運動不足気味なときは、自転車をつかいます。
自転車のときの秘密道具は、WalkyDogです。
http://www.thedogoutdoors.com/walkydog-dog-bike-leash.html

イルームは、これをつかって散歩するのがとても上手です。
家の近所に、狭山湖・多摩湖をまわるサイクリングコースがあるので、安全に散歩することができます。うちの自転車は、タンデムバイクという二人乗り自転車で、後ろに子供を乗せて、イルームを横に走らせて散歩します。

でも、基本は「歩き」ですけど。

散歩は、朝から一気に10kmするときもありますが、朝晩にわけることもあります。
これも、仕事の状況によってです。

歩く速さは、大体時速4~5kmですから、10kmというと2時間は必要です。
散歩したくないときもしょっちゅうありますから、状況をかえながら散歩時間をつくります。

たとえば、家族で車で買い物に行くとき、行きか帰りはイルームと歩くことにするとか。
ちょっと遠出して、ショッピングセンターや、スーパー、ホームセンターに行くときは、かならず片道は歩きにします。レンタルビデオ屋にいくときも、往復あるきます。娘を駅まで送るときも歩き。息子を通学班までおくるときも歩き。

あと、iPhoneのアプリでCyclemeterという、移動の距離や地図を記録してくれるものを使っています。これがあると、どのくらい散歩したか記録することができて、ごまかすことができません。

散歩中にできることを見つけるのも続ける秘訣です。
スマートフォンがあれば、結構できることは多いです。
学生さんなら、英単語を覚えながら散歩するのはおすすめですね。

ちなみに、私の通勤時間は、電車で、片道約1時間ですので、平均的かと思います。
本当は、会社までイルームと歩いていきたいのですが、さすがにこれは無理です。

2013年4月10日水曜日

ベトナム戦争メモ

ベトナムに訪問するまで、ベトナム戦争について学んだことがなかった。
この戦争はいつ始まって、いつ終わったのか、なんのための戦争だったのか。

1940年 9月 日本軍による仏印進駐

日本は、中国と苦戦を強いられていた。米国は中国へ、ベトナムを経由して中国に物資支援を行っていた。蒋介石を支援するルートなので、援蒋ルートと呼ばれていた。

三国同盟国であるドイツがフランスを破ったのをきっかけに、日本は、ベトナムに進駐した。麻袋が不足していた日本軍は、ベトナムの農民に米の代わりに麻をつくることを強要し、1944年の干ばつにより、大量の餓死者がでることとなった。

統治が難しくなった日本は、ベトナムの独立をみとめ、ホーチミンがベトミンを設立。ベトミンとは、ベトナムの独立を求めるベトナム独立同盟会である。

1945年 日本が敗戦し、その9月2日ベトナムは、ベトナム民主共和国を成立する。しかし、フランスがふたたび大戦の先勝国として、ベトナムを統治するために戻ってくる。

1946年12月 インドシナ戦争が勃発する。ベトナム・ラオス・カンボジアのインドシナ共産党とフランスの戦いである。インドシナ共産党は、実質ベトナム人によって支配されていた。ロシアと中国は、インドシナ共産党を支援、アメリカはフランスを支援した。アメリカは、「ドミノ倒し」とよばれる世界の共産化を阻止しようとした。

1954年5月、このインドシナ戦争は、ディエン・ビエン・フーのフランス軍基地を4万人のベトミンの勝利でおわる。フランス軍は、1万人の捕虜と6千人の死者を出した。

1954年7月 ジュネーブ協定で、終戦処理を行うはずが、北緯17度を境に、北はベトナム民主共和国、南はベトナム共和国と、国を2分することとなった。フランスは、逃げだしたが、かわりにアメリカが南ベトナムを支援した。

アメリカは、米住経験があり、カトリックのゴ・ジン・ジェムを南ベトナムの大統領に任命する。しかし、ゴ・ジン・ジェムの仏教徒の弾圧をはじめとする独裁政治に、市民が反発、南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)がうまれ内戦状態となる。

ケネディ大統領は、当時軍事顧問として、限定的に米軍を派遣していたが、ケネディ暗殺後、ジョンソン大統領になってから、本格的に米軍を派遣することになった。その数、50万人という。

1964年 トンキン(東京)湾事件を契機に、米軍のB52による本格的な北爆がはじまる。また、ラオス、カンボジアを経由してベトコンに物資を輸送するホーチミンルートを封鎖するため、ラオスやカンボジアにまで爆撃を開始。農民の恰好でゲリラ戦をしかけるベトコンを防ぐため、枯葉剤を使用。今でも、その後遺症に苦しむ人がいる。

1968年 1月30日 テト攻勢 (Tet Offensive)
6万人のベトコンが、総攻撃をかけ、アメリカ大使館まで占拠する。
結果、ベトコンの死者3万人、米軍は1,500人の死者で、戦術的には大失敗に終わった。しかし、この報道が全米に反戦運動をひろげ、1969年7月ニクソン大統領が米軍撤退をはじめ、1973年に完全撤退をする。

反戦運動は、日本国内でも「ベトナムに平和を市民連合(べ平連)」が作家の小田誠を中心に結成され、米兵をソ連に逃がすなどの活動をしている。このころ、日本では学生運動に火がつく。

1975年3月 北ベトナムは一気に南ベトナムを占拠。
同4月30日に、南ベトナムは陥落。

1976年 ベトナム社会主義共和国となり、ベトナム戦争は終結を迎える。

急激な社会主義化は、南ベトナムから多くの難民をだし、世界中にボートピープルとして逃げた。日本でも、神奈川県大和市に、多くのベトナム難民が流れ着き、現在も日本に暮らしている。


その後、ドイモイ(刷新)政策により、ベトナム経済は、急速な復興を始める。









2013年4月8日月曜日

ベトナム戦争 ~デアハンター

ベトナムに訪問するまで、ベトナム戦争について考えたこともなかった。
何のために、いつはじまった戦争だったのか、まったく知識もない。

調べてみると、単純な背景ではないことは、わかった。

ベトナム戦争に関する映画を、レンタルDVDで観たが、アメリカ側からの視点によるものばかりなので、まったく真相は理解できない。

特に、デアハンターは、戦争の映画なのか、ロシアンルーレットの映画なのか、まったくわからない。ロバート・デ・ニーロの演技は、恰好よいが、ベトナム人が捕虜をつかまえてロシアンルーレットでギャンブルをしていたとは信じがたい。これは、いかにベトナム人が残虐であったかを植え付けるような、罪深い映画だと思う。

中国が反日映画をつくっているが、世界中でこういった洗脳映画って作られているんだと、再認識をした。

2013年4月2日火曜日

フィリピンとベトナムに訪問して感じたこと

3月は、フィリピンとベトナムに出張に行ってきました。
両国とも初めての訪問でした。

フィリピンには、30年工場を経営している日本人経営者を訪問し、
ベトナムでは、ベトナム学生の日本への橋渡しの活動をされている方を訪問しました。

お二人を見ていて思うのは、それぞれの国に深い縁をお持ちなんだということです。その地域で、活動をすることが、お二人の使命なんでしょう。

フィリピンもベトナムも、明るい国民性です。
南国だから、果物が木になっている国だから、という解釈もあるのでしょうが、
長い苦難があるからこそ、過去や将来に不安を持つよりも今のことに明るく向き合うしかないということの表れなのではないかと思いました。

フィリピン人の武器は英語力です。
学生達は、みんな英語を習得するのに必死ですし、
そのレベルは、非常に高いです。

ベトナム人の武器は、手先の器用さではないでしょうか。
あちこちでモノづくりをする工場が沢山ありました。

どちらも国民にも、探究心が工場すれば、もっと産業は伸びるのではないかと感じました。

フィリピンは、国民を蔑ろにしている政治の腐敗がネックでしょう。
ベトナムは、やはり共産主義と民主主義のバランスが今後の課題でしょうか。

電気や、交通のインフラへの投資は、もっともっと必要でしょう。

10年後が楽しみな国であることには、間違えがありません。

2013年3月9日土曜日

体にお金がかかるようになってきた。

昨日は、健康診断へ行ってきました。
朝早かったので、イルームの散歩は、夜にしました。

1ヶ月、お酒を止めていたので、結構自身をもっていったら、
予想外の、「積極的生活指導」に該当してしまいました。

引っかかったのは、胴回り90cm、身長体重比、それと良性コレステロールの低下です。
要するに、痩せろということです。6月までに3kg以上を目標と言われてます。これは、その気になれば、簡単に達成できる目標です。逆に達成したあとに維持するほうが大きな課題です。

この「痩せなさい指導」は、あまり気にしていないのです。
厚生省が適当に作った基準くらいにしか思っていません。

ただ、ずっと気になっているのが、良性コレステロールの低下。
これは、35歳くらいから、タバコを吸うと数値が落ちてしまうのです。
タバコは、会社でしかすいません。一日、5本くらいでしょうか。
ずっと前に禁煙してから、こんなペースで吸ったり吸わなかったり。
今は、たまたま吸っていて、また数値が落ちてしまいました。

もう一つ気になったのが、心電図で乱れが確認されたこと。
気にする必要はないと言われたのですが、心臓が苦しくなったことが、過去にあったので、今日、心臓専門の病院に検査に行きました。

心電図、超音波、CT、また造影剤を使った検査は、体中が熱くなるのに、体中に血管が張り巡らされていることが実感できました。

検査結果は、異常なしです。
が、血管が細いらしいです。
タバコは、血管を収縮するので止めてくださいと再度言われました。

2日連続、医者に体を見られながら言われると、また、綺麗さっぱりやめようと思います。

いまも、24時間心電図をとっています。
こちらもで、何も見つからなければ、とりあえず、
内蔵と心臓は、今の時点では大丈夫ということです。

45歳になると、嫌でも体にお金がかかります。

この2日で、検査費用だけで、37,000円です。
1月の12,000円で、48,000円。

今まで、かかったことがない金額です。