2011年7月28日木曜日

夏目漱石 坊ちゃんにでてくる清

夏目漱石の「坊ちゃん」を読んだ。
この本は、小学生のころだったか、手にして結局読み終われなかったと記憶している。

一本気な青年が、四国松山の中学教師として赴任をし、巻き起こす騒動を描いた物語。
狸、赤シャツ、野だいこ、山嵐、うらなり、マドンナと、あだ名をつけられた登場人物が物語をさらに愉快にしてくれる。

坊ちゃんを子供のころから世話をしてきた老婆・清が心に残る。

どんなことでも、坊ちゃんをほめて、勇気づけて、一緒にいたいと愛情を素直にぶつける。
こうした清のような存在が、子供には必要だと思う。

我が家は、おばあちゃんと同居しているが、やはり10歳の長男には、エコひいきといってもよいほどの愛情をそそぐ。とにかく、ほめて、おだてる。子供は調子に乗りすぎるところもあり、それがもとで私に怒られることもあるが、そうやって自尊心をつけていくのがよいのかもしれない。

そして、坊ちゃんはいつのまにか清の正直さと綺麗な心を人生の手本とし、人生を歩む。

物語は、清が死んでしまうが、そのあと、坊ちゃんはどんな奥さんをもらったんだろうか。


人命にたいする敬意

テレビで、被災地を捜索する警察の方々に、敬礼を送る少年をみた。
マイクで「ありがとう」といって通りすぎる警察官。
少年は、最後の一台になるまで、敬礼を送り続けるという。

場面は変わり、北海道県警が側溝からこぶし大の被災者の遺骨を発見した。
うやうやしく包み、群馬県警に引き渡す。
群馬県警もこれを受取り、大切そうに車にのせる。
走り出す車にむかい、ズラッとならんだ北海道県警の方々が敬礼をして見送る。

被災し亡くなった方々に、精一杯の敬意をおくり、
遺族のもとに戻れるよう願い送り届ける心が、言葉がなくても、溢れ出している。

思わず、テレビに向かって手を合わせてしまった。

それにくればて、中国の高速鉄道の事故処理はひどい。

被害者にも、遺族にもなんの反省も敬意ももっていない。
車両を埋めたり、また掘り起こしたり。
叩きつけて渡すように慰謝料を決め、事故の原因調査も再発防止対策もそこそこ。

この差はなんだ。

日本も電力会社の隠蔽体質が明るみにでてきている。
それほど、威張れるものではないが、
日本国民の品格は、とても高いものだと、改めて実感した。

2011年7月27日水曜日

Steve Gadd UP CLOSE

アマゾンで、ドラムの神様スティーブ・ガッドの教則DVD 「アップ・クロース」を購入。
超ハイレベルで、見て感動して終わるだろうと思っていたが、
結構丁寧にやさしいフレーズを披露してくれる。

ほとんど、話をしているので、教則本としてはもの足りないが、
見ているだけで、ドラミングの幅が広がりそうだ。

随分古いDVDだが、学生時代は存在もしらなかったし、
きっと、高くて手がでなかっただろう。

今は、本当に楽器を始めるには恵まれている。

スコアも、動画もインターネットにはあふれているし、
ことドラムに関しては、電子ドラムの進化は、騒音問題を随分と解決してくれる。

その分、ミュージシャンのレベルもあがっているのだろうが、
それでも、スティーブ・ガッド、バディ・リッチ、イアン・ペイスは、今でも神だ。

今日は、飲み会だが、
明日は早く帰ってドカドカしよう。

2011年7月26日火曜日

亡くなる前に

18歳の頃、シアトルでホームステイさせてもらっていたファミリーのお母さん(日本人)が、あと3日もつかどうかという状態だそうです。

今聞いたので、行くにも短すぎます。

まだ、アメリカに日本人の友達がいたので、その人に手紙を託しました。
明日、病院に行ってくれるそうです。

最近、世話になっていた人たちが旅立つことが増えてきてます。
私の歳を考えても、子供達の成長を考えても、それも当然のことではありますが。。
幸い私は両親が健在なので、幸せです。

「親孝行したいときには、親はいない」と、よく言いますが、
いくら親孝行しても、その無念は残るものでしょうか?
きっと、残るんでしょうね。

よく亡くなった後に、弔辞をのべる場面を目にします。
でも、その人への思いは亡くなる前に伝えるのがいいと思います。
恥ずかしかったり、わだかまりがあったりで、
なかなか難しいことですが。。。

生きている間に、どれだけ愛しているか、どれだけ感謝しているかを、
なるべく多く伝えておきたいものです。

できれば、言葉や手紙で。。
少なくとも態度ではしめさないと。

それから、会いたいな~とおもったら、
会いに行くことです。

会えるのも生きてる間だけですから。

2011年7月25日月曜日

子供達は韓国に出発

昨日、富士山静岡空港より、10歳と7歳の子供達だけで韓国に旅立ちました。
子供達だけで、韓国にやるのは、これで3回目。

エアラインの人が、飛行機に乗るまで付き添ってくれて、
韓国でも迎えに引き渡すまで責任を持ってくれるので安心です。

料金は、ディスカウントはないので二人で11万6千円。
高いですが、これだけは続けられるだけ、続けてあげたいと思います。

韓国では、日本語をしゃべる人はいないので、良い韓国語の勉強になります。
プール、遊園地に行ったりして遊びまくるだけですが、帰ってくるたびに韓国語は上達します。

これから2週間、子供のいない生活。
寂しいですが、奥さんとの時間を楽しみます。

2011年7月22日金曜日

奥さん骨折

昨日、朝出勤の準備を終え子供たちとテレビを見ていると、
遠くで子供の叫び声がわずかに聞こえた。

子供たちは目の前にいるので、他所の子供だろうと思って聞き過ごしていた。

トイレにいくと、その叫び声は、風呂場から奥さんの叫び声だとわかった。
子供の声にそっくり。

鍵がかかっているので、なんとかこじ開けてはいると、
風呂のガラスのドアが外れて、奥さんの足の上に落下。

裂傷していて、はれ上がっている。
ドアの重さは40kg以上はあると思う。

ドアのしたの床が腐っていて、外れて落ちたらしい。

すぐに、病院案内に電話。
「今、先生の交代の時間帯なので、救急車でいったほうがいいですよ。」
と言われたので、手配をお願いしました。

すぐに、救急車と3名の隊員が駆けつけてくれた。

生まれて初めての救急車。
近所の人が集まるなか、奥さんにつきそい病院へ。

救急車の中でも、応急手当をしてくれて、
すぐに行き先の病院も決まった。

病院につくと、裏から救急室へ直行。
先生がすぐにレントゲンをとり、治療開始。

3か所、骨にヒビがはいっていたが、
幸いにも神経切断とかはなかった。
全治1カ月。

もし、自家用車で病院にいっていたら、
受付だ、順番待ちだで、大分待たされただろう。

救急車は本当に必要な人のためなので、簡単なことで呼んではいけないのは当然だが、
流石に早い。

その日は会社を休んで、奥さんが行く予定の娘の三者面談に代理で行った。

ママの心配で、泣いていた娘も、家で2時間勉強していると嘘をついていたことが、判明するとそれどころではなくなった。

帰りに弱点といわれた算数の文章題の問題集を買って、やらせました。

2011年7月19日火曜日

ドラムマニア

昨日は息子の10歳の誕生日。
家族で、ラウンド1に行って半日過ごしました。

ゲームセンターで、ドラムゲームを見つけた。
ドラムマニアといって、HH,スネア、HT,LT,シンバル、BDがあって、
でてくる表示にあわせて叩くもの。

本来のドラムとはかけ離れていて、イライラする。
ドラム譜にしてくれれば、もう少しましかも。

ドラムマニアは、ガラガラでしたが、
太鼓の達人は、人気だった。

何気に、結構速い16分叩いている子供たち。
すご~。

2011年7月14日木曜日

「こだわる」とは、良い意味の言葉ではない。

この製品に「こだわる」
「こだわりの一品」


など、「こだわる」という言葉を良い意味で使うことが多い。


しかし、本来は、
ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる。難癖をつける。」
という意味だ。


私は、「執着する」とか「こだわる」という言葉が嫌いだ。
「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」
だからだ。


心は囚われては生けない。
心はいつでも柔軟で、自由であるのが良い。
そして、川の水が流れるが如く、生きるのがよい。
石に刻みこむような生き方だめ。


目標を達成するには、
製品やサービスをより向上するには、
ドラムをもっと上手く叩けるようになるには、


努力が必要である。


それを表現する言葉は、
「追求する」だ。


今日は、家にかえったら、
マックス・ローチの「限りなきドラム」を追求しよう。


楽しみ、楽しみ。


勿論、お仕事も追求します。

2011年7月13日水曜日

幸せになるには

今朝、娘が神社からもらってきたお祓い用の小さいビニール袋に入った塩をもって、 
「これを持ってたら幸せになれる?」 
と聞いてきた。 

幸せになる方法 

この問には、何十年も悩んだ。 
お守りとか、占いとか、風水とかに頼ったり、 
そんな題名の本を読んだりと。。 

この歳になって、幸せになる方法の結論は、 

今、この瞬間を「幸せだな~」と思えるかどうか。 

今日も飯食えた、ビール飲めた、仕事があるとか、 
そういったことに感謝できるようになってから、 
今では感謝できることが一杯あって幸せだ。 

幸せになるには、 
「幸せだな~」とか、感謝することを一つでも見つける感性を磨くこと。 

娘には、 
「太陽がでていて幸せだね。」 
「空気が吸えて幸せだね。」 
「ご飯が食べれて幸せだね。」 
「お爺ちゃんとお祖母ちゃんが元気で幸せだね。」 
「パパとママが仲良くて幸せだね。」 
と、今幸せなことを教えた。 

「うん、しあわせ~」と納得。 

そして、もう一つ 
「幸せは、幸せだと思っている人のところに集まるように神様がつくってるんだよ。」 
とも、教えた。 

娘はますます幸せ。 

「銀の匙」には、しあわせは、「仕合せ」と書かれている。 
昔は、この字をつかっていたんだな。 

仕は、動詞「する(為る)」の連用形「し」の当て字だそうだ。 

仕合せとは、 
感謝することで、神様と波長をあわせること。 

今度は、こうやって教えてみよう。 


今日は、モーラー奏法の
左手の感覚がつかみかけてきて、
仕合せだ~。


右手とうまく
合わされば
もっと、仕合せ!!

「奇跡の教室」から学ぶ じっくり、しっかり

テレビで、元灘高の国語教師・橋本武さんの授業をみて、目からウロコ。 

スローリーディングの凄さをしった。 

橋本さんの授業は、中学校3年間の国語授業に教科書を使わず、中勘助の小説「銀の匙」を読み込むというもの。 

主人公の体験を追体験をするように、じっくり味わう。 
文中の言葉から、ドンドンと派生知識を追求し、それを調べたり、実際に体験するように、 
横道にそれていく。本当に理解することを教えるのだ。 

駄菓子がでてくれば、生徒に食べさせ。凧がでてくれば、実際に凧作りを行い飛ばしてみる。 

橋本さんは、学生時代に勉強したことが何も覚えていないことに気付き、 
 「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」という信念に至った。 

実際に、中勘助の「銀の匙」をアマゾンで購入し、読んでみた。 
出張中の新幹線で読み終わる。あらすじはわかった。 
これが普段の私の読み方。 

そして、橋本さんの授業について書かれた「奇跡の授業」を読んでみた。 

「銀の匙」の主人公の体験を理解していないこと、場面の情緒を味わっていないこと、 
知らないことをそのまま読み飛ばして、何も疑問を感じていなかったことに気づいた。 

この授業の凄みは、やはり橋本先生の情熱と努力、そして才覚がないと実現できないのではないかと思う。 

横道にそれる授業のために、毎晩徹夜でプリントをつくっていたらしい。 
どうしても分からないことがあれば、著者の中勘助氏に手紙を書いて、教えを請った。 

こういう素晴らしい師に出会えた「銀の匙」の子供達は、本当に幸せだと思う。 

そしてその子供達は、当時灘高からは進学率が低かった東大や京大に合格し、 
社会のエリートと呼ばれる人たちになっている。東大の総長もまさに、「銀の匙」の子だ。 

銀の匙の子は、壁を階段に替える力を、橋本先生から学んだという。 
つまり、困難にぶつかっても、調べ、考え、想像力をふくらませ、克服していくのだという。 

私は、国語は真面目に勉強しなかった。 
しかし、社会にでて、人間の能力は国語力に左右されるということは感じている。 

子供達にもじっくりと取り組むということを教えられたらと願う。


ドラムも速さだけを追い求めてはダメ。
じっくり、しっかりとそのアクセントを味わい、意味を考える。


どうして、Steve Gaddはこのフレーズを使ったんだろう。
どう乗ればいいのか。


学生時代には思いもよらないドラム練習方法をこの歳になると気づけたことが嬉しい。

2011年7月10日日曜日

西武遊園地プールとハウンドドッグ

今日は、西武園ゆうえんちのプール開き。
招待券があったので、子供達をつれて行ってきた。

すげ~混んでるのかなとおもったけど、
そうでもなかった。

去年の水着が入るの心配だったけど、
なんとかOK

西武園のプールができたのが、
高校生の時だったかな。
そのころの彼女が監視員のバイトをしたっけ。
中学校の時、NO1に可愛い子だった。

まさか付き合えるなんて夢にも思わなかったけど、
これもバンドやってたからかも。
ハウンドドックの大ファンの娘で、
コピーやってのが、でかかったかもな。

ハウンドドックが西武球場でライブやったとき、
OM君と、前夜球場に忍びこんで、
ステージにあがった。

なんか、証拠が残したくて、
二人で、ステージでおしっこしたっけ。

ライブ当日、大友康平さんが、花火の火薬がおおすぎて、
ステージの上で倒れたハプニングがあった。
大雨だったな。

ちょうど、俺たちのション便の上あたりで、倒れちゃって、
なんかヤベェ~ななんて、思った。

その話、監視員の彼女に話したら、
やらく怒ってたっけ。

あの頃のハウンドドックは、まだどこかに田舎臭さがのこっていて、
曲も洗練されてなかったけど、
ストレートな感じがよかった。

バラードは、もう、涙とか、アラキンとかあったし、
アップテンポでも、浮気なが
原宿のローラーチームでも踊られてたから
ブレーク要素は満載だったけど。

Rainy Lady 真夜中らLoveコール

FFとか前の、そんな曲が好きだった。

2011年7月7日木曜日

スティックの持ち方

スティックの持ち方をどれにするか。
マッチドグリップ?
レギュラー?
フレンチ?
いやいや、アメリカン?

レギュラーグリップなんて、絶対無理と思ったが、
なんか、プロっぽくてかっこいいなというスケベごころから、
レギュラーグリップでドラムを始めることにした。

やってる曲は、ロック、ハードロック、ヘビメタと、
絶対にマッチドグリップがいいんだけど、
周りがみんなその持ち方だったし。

実は、こいつジャズとかクラッシックのバックグラウンドか?
なんて、思わせたくてレギュラーにした。

パープルのリッチー・ブラックモアが、クラッシックを混ぜたギターソロやっているのをみて、
それがカッコよくて。。

高校卒業して、アメリカに行ったとき、
大学の授業では、
マーチングやJazzドラムは、必須だったので、
この時選択したレギュラーグリップは結果正解だった。

ただ、今20年以上経って始めるにあたっては、
マッチドグリップに変更。

理由?
巧いと思われたら、こまるから。。。

歳をとると、控えめになります。
本当は、持ち方なんて、ひとそれぞれで、関係ないけどね。

2011年7月6日水曜日

ドラムをはじめた動機

ドラムを始めたのは高校一年生の学芸祭がきっかけだった。
バンドのオーデションをやって、合格したバンドのみステージに上がれた。

友達と数人で、バンドを組んでオーデションを受けようということになったが、
楽器ができたのは、ギターのMだけ。それも、かなり下手。

しゃがれ声のK[がボーカルになり、ギターの彼女がキーボード。
ベースもはじめて、勿論私もドラムを目の前で見るのもはじめてだった。

子供の頃、日本太鼓を親父に教えてもらっていたので、それと似たようなものだろうと思っていた。
が。。。足元にペダルらしきものが二つある。

ベースドラムは、上にのっかったタムを載せておくための台だとおもっていたのに。。

ギターのMが、「8ビートなら叩ける」というので、教えてもらった。

ドンちゃん、ドンちゃん、

ハイハットは、訳がわからないので、とりあえず閉じてネジで固定した。

やったのは、
キャロルのファンキーモンキーベイビー
ハウンドドックの嵐の金曜日

丸井のスタジオに、学校帰りによって、数回やってみただけ。
どうしようもないので、ベードラも踏むのもやめて、
チチタン チチタンと、チョーごまかしの8ビートにした。

オーデションの日がきた。
結果は、勿論 失格。

その日で即席バンドは解散。
ついでに、つきあっていた彼女とも別れてしまった。

学祭当日、合格したバンド達は、キャーキャー言われながらステージに登る。
ボーイとか、パープルとかやっていたと記憶。

学祭がおわりキャンプファイヤー。
そこで、別れた彼女が、合格したバンドのギターと一緒に手をつないで歩いているではないか。

ふか~く、傷ついた。
信じられなかった。
でも、周りからみるとシンプルな事実。。。。


これは、バンドやって見返すしかない!!

ドラムをやった動機は、

そう、

モテルためでした。

2011年7月5日火曜日

気分はグルービー

ドラムをカタカタやってると、高校時代を思い出します。

当時「気分はグルービー」というバンドの漫画がありました。
高校時代のバンド三昧生活には、この漫画がピッタリでした。

キーボードの寿子ちゃんに憧れて、バンドに女子のキーボードをどうしても入れたかった。
でも、現実は寿子ちゃんとは、ルックスも腕も程遠い子しか集まらなかった。

一方、ドラムの憲二よりも、ボーカルの奥田隆の、いい加減さと、甚兵衛とかのファッションセンスに妙にはまりました。おもしろいTシャツも着ていたような、記憶が。
今では、漫画も遠い過去に捨て去ってしまったので、読みなおすこともできませんが。

このバンド名、「ピテカントロプスエレクト」

なんで、類人猿なのなんて、当時は思っていましたが。

チャールズ・ミンガスのアルバムからとっていたんだろうと思います。
Jazzですね。

漫画なので、実際に演奏していた曲というのはわかりませんが、
パープルやったり、ビートルズやったりと、統一性はなかったような?

また、読んでみたいな、「気分はグルービー」。

電子ドラムの進化にビックリ

学生時代に叩いていたドラムも、社会人になってのアパート暮らしでは、すっかり遠ざかってしまい20年以上たった。

子供がピアノの楽譜が欲しいというので、数十年ぶりに楽器屋さんに行ったら、電子ドラムの展示ばかり。生ドラムは、見当たらない。

しょぼい音出すんだろうなと、子供にイタズラで叩かせてみたら、
結構いい音出すんでビックリ。

久々に叩いてみると、楽しい、楽しい。
なんで学生時代にこれがなかったんだ。いや、あったけど酷いものだった。
センサーと音源の技術革新だな。

店員さんも、在庫処分価格でというので、
子供に「やってみた~い」と言わせて、奥さんを説得。

我家に、TD-4K2-Sが来ました。

子供達は案の定数時間であきてしまい。
晴れて私のオモチャになりました。

高校時代の教本とキックペダルを引っ張り出して、叩くと、リズムがガタガタ。
でも、感が戻るのが予想以上に早くて、

「何だ、まだ叩けるじゃん」

いや、かえって、力が抜けてオトナっぽい叩き方になってる。

これ、力みすぎで伸び悩んでいたところ、超えられるんじゃないのと、
希望まででてきた。

グルーブ感覚はすっかり衰え、数年前のヘルニアの後遺症でしびれが消えない右足ではあるけども、

無趣味で働き続けてきたオヤジには、素晴らしい贈り物だ。

富士山のあたりで40歳越のオヤジたちが暴走族みたいな音たてて走ってるけど、
気持ちはそれと似てるんだろうな。

ビール飲みながらメトロノームにあわせてカタカタしてるのは、
他人様に見せられたものじゃないけど、

仕事とか家族とか以外に、自分の時間を埋めてくれるものがあるって
やっぱりいいね。