2013年4月22日月曜日

イルームとの散歩について

今週末は、イルームの最後のトレーニングでした。
土曜日の夜に富士に行ったのですが、ミゾレがふっており、辺りは白く、とても春とは思えない陽気でした。

当日は、朝から大雨が降っており、イルームを散歩に連れて行くこともできないまま、トレーニングに行きました。体力が有り余っているイルームは、兄弟達をみるととても興奮してなかなか落ち着いてくれなく、引っ張られるたびにその力に「大きくなったなあ」と感じました。

1年経つと兄弟でも、顔つきや体つきが違ってくるものです。
それでも、全頭ともいい子で、穏やかであることは、やはり遺伝なのでしょう。
来月26日から、みんな本格的なトレーニングに入るため、我々パピーウォーカーとはお別れですが、立派な盲導犬になってもらいたいです。

よくトレーニングに行くと、イルームの散歩量について聞かれます。
毎日少なくとも7km、平均で10km、週末には20km以上は散歩しています。
雨の日や、出張中は、散歩はしていません。

ご飯の量は、今は1回220gのドックフードを一日2回。
1回目は、朝5:30、2回目は夕方5時くらいにあげてます。
散歩をしない日は210gに減らします。
逆に20kmとか、散歩したときは240gあげるときもあります。

散歩の仕方は、基本は歩きです。
時間がないときや、ちょっと運動不足気味なときは、自転車をつかいます。
自転車のときの秘密道具は、WalkyDogです。
http://www.thedogoutdoors.com/walkydog-dog-bike-leash.html

イルームは、これをつかって散歩するのがとても上手です。
家の近所に、狭山湖・多摩湖をまわるサイクリングコースがあるので、安全に散歩することができます。うちの自転車は、タンデムバイクという二人乗り自転車で、後ろに子供を乗せて、イルームを横に走らせて散歩します。

でも、基本は「歩き」ですけど。

散歩は、朝から一気に10kmするときもありますが、朝晩にわけることもあります。
これも、仕事の状況によってです。

歩く速さは、大体時速4~5kmですから、10kmというと2時間は必要です。
散歩したくないときもしょっちゅうありますから、状況をかえながら散歩時間をつくります。

たとえば、家族で車で買い物に行くとき、行きか帰りはイルームと歩くことにするとか。
ちょっと遠出して、ショッピングセンターや、スーパー、ホームセンターに行くときは、かならず片道は歩きにします。レンタルビデオ屋にいくときも、往復あるきます。娘を駅まで送るときも歩き。息子を通学班までおくるときも歩き。

あと、iPhoneのアプリでCyclemeterという、移動の距離や地図を記録してくれるものを使っています。これがあると、どのくらい散歩したか記録することができて、ごまかすことができません。

散歩中にできることを見つけるのも続ける秘訣です。
スマートフォンがあれば、結構できることは多いです。
学生さんなら、英単語を覚えながら散歩するのはおすすめですね。

ちなみに、私の通勤時間は、電車で、片道約1時間ですので、平均的かと思います。
本当は、会社までイルームと歩いていきたいのですが、さすがにこれは無理です。

2013年4月10日水曜日

ベトナム戦争メモ

ベトナムに訪問するまで、ベトナム戦争について学んだことがなかった。
この戦争はいつ始まって、いつ終わったのか、なんのための戦争だったのか。

1940年 9月 日本軍による仏印進駐

日本は、中国と苦戦を強いられていた。米国は中国へ、ベトナムを経由して中国に物資支援を行っていた。蒋介石を支援するルートなので、援蒋ルートと呼ばれていた。

三国同盟国であるドイツがフランスを破ったのをきっかけに、日本は、ベトナムに進駐した。麻袋が不足していた日本軍は、ベトナムの農民に米の代わりに麻をつくることを強要し、1944年の干ばつにより、大量の餓死者がでることとなった。

統治が難しくなった日本は、ベトナムの独立をみとめ、ホーチミンがベトミンを設立。ベトミンとは、ベトナムの独立を求めるベトナム独立同盟会である。

1945年 日本が敗戦し、その9月2日ベトナムは、ベトナム民主共和国を成立する。しかし、フランスがふたたび大戦の先勝国として、ベトナムを統治するために戻ってくる。

1946年12月 インドシナ戦争が勃発する。ベトナム・ラオス・カンボジアのインドシナ共産党とフランスの戦いである。インドシナ共産党は、実質ベトナム人によって支配されていた。ロシアと中国は、インドシナ共産党を支援、アメリカはフランスを支援した。アメリカは、「ドミノ倒し」とよばれる世界の共産化を阻止しようとした。

1954年5月、このインドシナ戦争は、ディエン・ビエン・フーのフランス軍基地を4万人のベトミンの勝利でおわる。フランス軍は、1万人の捕虜と6千人の死者を出した。

1954年7月 ジュネーブ協定で、終戦処理を行うはずが、北緯17度を境に、北はベトナム民主共和国、南はベトナム共和国と、国を2分することとなった。フランスは、逃げだしたが、かわりにアメリカが南ベトナムを支援した。

アメリカは、米住経験があり、カトリックのゴ・ジン・ジェムを南ベトナムの大統領に任命する。しかし、ゴ・ジン・ジェムの仏教徒の弾圧をはじめとする独裁政治に、市民が反発、南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)がうまれ内戦状態となる。

ケネディ大統領は、当時軍事顧問として、限定的に米軍を派遣していたが、ケネディ暗殺後、ジョンソン大統領になってから、本格的に米軍を派遣することになった。その数、50万人という。

1964年 トンキン(東京)湾事件を契機に、米軍のB52による本格的な北爆がはじまる。また、ラオス、カンボジアを経由してベトコンに物資を輸送するホーチミンルートを封鎖するため、ラオスやカンボジアにまで爆撃を開始。農民の恰好でゲリラ戦をしかけるベトコンを防ぐため、枯葉剤を使用。今でも、その後遺症に苦しむ人がいる。

1968年 1月30日 テト攻勢 (Tet Offensive)
6万人のベトコンが、総攻撃をかけ、アメリカ大使館まで占拠する。
結果、ベトコンの死者3万人、米軍は1,500人の死者で、戦術的には大失敗に終わった。しかし、この報道が全米に反戦運動をひろげ、1969年7月ニクソン大統領が米軍撤退をはじめ、1973年に完全撤退をする。

反戦運動は、日本国内でも「ベトナムに平和を市民連合(べ平連)」が作家の小田誠を中心に結成され、米兵をソ連に逃がすなどの活動をしている。このころ、日本では学生運動に火がつく。

1975年3月 北ベトナムは一気に南ベトナムを占拠。
同4月30日に、南ベトナムは陥落。

1976年 ベトナム社会主義共和国となり、ベトナム戦争は終結を迎える。

急激な社会主義化は、南ベトナムから多くの難民をだし、世界中にボートピープルとして逃げた。日本でも、神奈川県大和市に、多くのベトナム難民が流れ着き、現在も日本に暮らしている。


その後、ドイモイ(刷新)政策により、ベトナム経済は、急速な復興を始める。









2013年4月8日月曜日

ベトナム戦争 ~デアハンター

ベトナムに訪問するまで、ベトナム戦争について考えたこともなかった。
何のために、いつはじまった戦争だったのか、まったく知識もない。

調べてみると、単純な背景ではないことは、わかった。

ベトナム戦争に関する映画を、レンタルDVDで観たが、アメリカ側からの視点によるものばかりなので、まったく真相は理解できない。

特に、デアハンターは、戦争の映画なのか、ロシアンルーレットの映画なのか、まったくわからない。ロバート・デ・ニーロの演技は、恰好よいが、ベトナム人が捕虜をつかまえてロシアンルーレットでギャンブルをしていたとは信じがたい。これは、いかにベトナム人が残虐であったかを植え付けるような、罪深い映画だと思う。

中国が反日映画をつくっているが、世界中でこういった洗脳映画って作られているんだと、再認識をした。

2013年4月2日火曜日

フィリピンとベトナムに訪問して感じたこと

3月は、フィリピンとベトナムに出張に行ってきました。
両国とも初めての訪問でした。

フィリピンには、30年工場を経営している日本人経営者を訪問し、
ベトナムでは、ベトナム学生の日本への橋渡しの活動をされている方を訪問しました。

お二人を見ていて思うのは、それぞれの国に深い縁をお持ちなんだということです。その地域で、活動をすることが、お二人の使命なんでしょう。

フィリピンもベトナムも、明るい国民性です。
南国だから、果物が木になっている国だから、という解釈もあるのでしょうが、
長い苦難があるからこそ、過去や将来に不安を持つよりも今のことに明るく向き合うしかないということの表れなのではないかと思いました。

フィリピン人の武器は英語力です。
学生達は、みんな英語を習得するのに必死ですし、
そのレベルは、非常に高いです。

ベトナム人の武器は、手先の器用さではないでしょうか。
あちこちでモノづくりをする工場が沢山ありました。

どちらも国民にも、探究心が工場すれば、もっと産業は伸びるのではないかと感じました。

フィリピンは、国民を蔑ろにしている政治の腐敗がネックでしょう。
ベトナムは、やはり共産主義と民主主義のバランスが今後の課題でしょうか。

電気や、交通のインフラへの投資は、もっともっと必要でしょう。

10年後が楽しみな国であることには、間違えがありません。

2013年3月9日土曜日

体にお金がかかるようになってきた。

昨日は、健康診断へ行ってきました。
朝早かったので、イルームの散歩は、夜にしました。

1ヶ月、お酒を止めていたので、結構自身をもっていったら、
予想外の、「積極的生活指導」に該当してしまいました。

引っかかったのは、胴回り90cm、身長体重比、それと良性コレステロールの低下です。
要するに、痩せろということです。6月までに3kg以上を目標と言われてます。これは、その気になれば、簡単に達成できる目標です。逆に達成したあとに維持するほうが大きな課題です。

この「痩せなさい指導」は、あまり気にしていないのです。
厚生省が適当に作った基準くらいにしか思っていません。

ただ、ずっと気になっているのが、良性コレステロールの低下。
これは、35歳くらいから、タバコを吸うと数値が落ちてしまうのです。
タバコは、会社でしかすいません。一日、5本くらいでしょうか。
ずっと前に禁煙してから、こんなペースで吸ったり吸わなかったり。
今は、たまたま吸っていて、また数値が落ちてしまいました。

もう一つ気になったのが、心電図で乱れが確認されたこと。
気にする必要はないと言われたのですが、心臓が苦しくなったことが、過去にあったので、今日、心臓専門の病院に検査に行きました。

心電図、超音波、CT、また造影剤を使った検査は、体中が熱くなるのに、体中に血管が張り巡らされていることが実感できました。

検査結果は、異常なしです。
が、血管が細いらしいです。
タバコは、血管を収縮するので止めてくださいと再度言われました。

2日連続、医者に体を見られながら言われると、また、綺麗さっぱりやめようと思います。

いまも、24時間心電図をとっています。
こちらもで、何も見つからなければ、とりあえず、
内蔵と心臓は、今の時点では大丈夫ということです。

45歳になると、嫌でも体にお金がかかります。

この2日で、検査費用だけで、37,000円です。
1月の12,000円で、48,000円。

今まで、かかったことがない金額です。

2013年3月6日水曜日

英検3級合格!

今朝も、娘を送って、パトロールして、息子の通学班に同行してと、イルームはいつもの朝を送った。水曜日は、朝の会議があるので、多摩湖散歩はスキップ。会社が早く終わったら、夕方軽く散歩しようかな。

昨日、英検3級の合格発表がありました。
子供たち二人とも、見事に合格しました。
約束通り3千円ずつお小遣いをあげます。うれしい出費ですが。

もともと、英検をはじめ英語の検定テストを子供たちに受けさせるのは興味がありませんでした。
娘の学校で、何か賞をとったり、目立った功績があると、朝会で鐘を鳴らさせてくれるのですが、娘が「私、一回も鐘を鳴らしたことがない」と言ったのが始まりでした。

今回も、思い切り鐘を鳴らしてもらいたいです。

この鐘を鳴らすというシステムは、とてもいいことだと思います。
引っ込み思案の娘も段々と自信がついてきているようです。
英語だけではなく、なんでも取り組んでみようという「やる気」がでてきたように感じます。

最近、思うのは、なんでも一番になってみるというのはいいことだということです。
かけっこでも、水泳でも、鉄棒でも、ピアノでも、算数でも、漢字でも、ダンスでも、ひとつだけは誰にも負けないものを持とうという姿勢は素晴らしいことです。

学校とか、クラスとか、せまい範囲で構わないし、なんでもいいんです。
大人になって、小学生のころを思い出した時、
「あの頃、わたしこれだけは一番だったなあ」と、思えるのは生涯の財産です。

小学→中学→高校→大学→社会人と、競争する範囲はどんどん広くなって、ずっと一番であり続けることはできないかもしれないけど、子供のころは、何かで一番になることはできると思います。

私は、小学生の時は、水泳が学校で一番でした。
牛乳早飲みは、2番だったかもしれません。
一方、短距離はおそかったなあ。
長距離は、2番くらいだったかなあ。

中学の時は、グレたので、1番だった思い出はないです。
強かった喧嘩も、成長が遅かったので、大人みたいに成長したやつには、勝てそうもなかったし。
なので、あまり輝かしい思い出がないです。

高校時代は、ドラムが一番でした。
すごくうまいやつがいて、そいつに負けたくなくて、1日8時間以上も練習していました。

それでも、大学に行くと、上には上が沢山いて、あっと言う間に自信をなくしてスティックを置きました。あの頃の自分に合えるなら、「継続するのが才能なんだ」と教えてあげたいです。もったいなかったなあ、やめちゃったの。

一昔前に、No1じゃなくてもオンリーワンなんて歌がありましたが、
No1になるくらいやらないと、オンリーワンなんてなれないよと思います。

ひとつのことに秀でている奴って、他のことにも通じるんですよね。

私は、野球はすきではないけど、
イチローの姿って、見ているだけで感動します。

結果ではないんだけど、
結果をもとめて、直向きに努力を積み重なる姿っていいし、
それが生きがいとして見つけられたら、その人にとっては最高の人生なんだと思います。

息子にも、娘にも、学校の中だけでもいいので、
英検で1番になって、
そういう生き方のヒントを見つけてもらいたい。

親のことは、棚にあげてですけど。。。



2013年3月5日火曜日

我が家からテレビがなくなった。

今朝も、イルームと娘を送り、パトロールをして、息子の通学班に同行しました。
湖への散歩は、キャンセルしちゃいました。でも、8kmくらいは散歩できたかな。

最近、我が家の食卓からテレビがなくなりました。
テレビを見ないと、まったく浦島太郎です。
どれだけ、テレビに依存していたかわかります。

テレビがないと、家族でご飯を食べる時も、噛む音まで聞こえます。
最初は、変な感じがしましたが、より近くに家族を感じられて幸せです。

なんか、家全体が穏やかになった感じもします。
ザワザワしていないというか、外部からの影響が全て遮断されているというか、
家族だけが、シェルターにはいって、その中だけでまったりとした時間が過ぎている感じです。

子供たちも、宿題をしたり、本を読んだりと、いい影響がでています。
息子は、おばあちゃんの部屋で、週に一回ドラえもん、娘は、「ドラえもん」「ちびまる子」「サザエさん」だけ、テレビを観ることに決めたようです。いつもただそこにあって、映像を流し続けていたテレビが、週に数時間のエンターテイメントになりました。

1月末に胃カメラを飲んでから、お酒も飲んでません。
最初は、酒もテレビもない時間をもてあますだろうと思っていましたが、
子供と話したり、イルームと遊んだりと、結構あっという間に時間がすぎます。

10時には、子供たちと一緒に寝ちゃいます。
本当は、ケージの中にいなくちゃいけないイルームも、ベッドの横で寝ちゃいます。

ベッドに潜り込んでから、娘とは「白クマごっこ」をします。
「白クマごっこ」というのは、ただ布団をかぶってそれをシェルターと想定します。
外は寒い寒い北極で、おなかを減らした白クマがまわりには沢山いて、シェルターの中に娘と隠れているという、ただそれだけです。

そのシェルターは、移動ができて、時には海底にもぐって人食いサメに囲まれたり、山奥に入って龍に囲まれたりします。

そんなことを想像しながら話いるうちに、娘は眠ってしまい。つられて、私も寝ちゃいます。

朝5時には、イルームに起こされて、ワンツーさせて、朝ごはんあげて、6時に子供達を起こして、学校に送る。

そんな毎日が幸せでしかたがありません。