2011年12月30日金曜日

中学受験 社会のお勉強

塾の社会の授業の進み方を聞いて、その速さにびっくりです。

小5の夏までに地理を終え、
小6の春に歴史、そして夏までに公民を終わりにする。

中学の時、暗記を不得意としていた私は、社会の点数の低さにいつも打ちのめされていました。
なので、高校受験は国語・算数・英語の3教科です。そして、米国にいってしまったので、社会と理科は苦手意識をもったまま44歳になろうとしています。

ただし、中学受験は、理科・社会を避けて通ることはできないようなので、やるしかないでしょう。
理科は、家内にまかせ、社会は私が受け持つこととしました。

遊園地マニアが功を奏して、息子は都道府県と庁所在地は言うことができます。
これだけでも、私としては、「すげ~」と思ってしまいます。
これから、山脈とか、火山、半島などを暗記していきます。

歴史は、まんがでいきます。
20巻そろえましたが、誰も手をつけていないのでちょっと心配です。
が、歴史は、私ももう一度勉強しなおしたいと思っているので、勉強したことをかみくだいて話をしてあげれば、歴史の流れはつかめるでしょう。

昨日は、時代の流れをやりました。

旧石器、縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、奈良、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成の15時代を暗記して、漢字で書けるようにしました。

忘れないように繰り返しやらせないと。。

この時代の流れに、簡単なエピソードを加えながら話をしてあげられたらなっておもってます。



2011年12月26日月曜日

サンタが親だとばれた日

小4の息子と小2の娘は、サンタクロースを信じていました。
学校では、サンタクロースは親だという友達が多くなっても、サンタクロースは絶対にいるんだと、クリスマスイブの夜に言ってました。

子供達が寝静まってから、プレゼントの梱包をしていると、
突然、息子が起きてきて、それを見てしまいました。

そのまま、肩をすぼめて、何も言わずに寝てしまいました。

1.サンタクロースは親だったんだと思った。
2.5つ頼んだプレゼントが、1つだけだった。

どちらで、がっかりしたのかはわかりません。
妹には、何も言っていないようですが、
このごろ、親をがっかりさせないようにしようというところがあるので、本当のところはどうなんだか。。


来年も、サンタクロースはいることでクリスマスは迎えるつもりです。


すくなくとも、私達親の心は、クリスマスになると、子供達の喜ぶ顔が見たくて、サンタクロースの心になるのですから。

クリスマスになると、親はサンタクロースに憑依されプレゼントをしたくなる。

日本語はこわいな!!

クリスマウスになると、サンタクロースのホーリースピリットにより、親は子供に贈り物をしたくなる。

うん、キリスト教ではないがこちらの方がよい。

日能研のテスト (試験問題ぐらい読めよ~)

天皇陛下誕生日にパパと試験勉強をした息子は、自信ありげに日能研のテストを受けに行きました。結構、自信をつけていたので、帰ってくるのが楽しみでした。

自転車で運動を終えて家に帰ると、すでに息子は帰宅しており、「パパ~、おかえり~!」と元気な声。これは、良く出来たのかと思いました。

しかし、本人いわく前より良く出来なかったということ。
どういうことだろうと、試験問題を確認しました。
殆ど、勉強したところです。

息子と一緒に確認すると、試験問題を読まずに回答をしたそうです。
私が出した問題の答えを暗記しただけなので、同じような問題でも、ちょっと言い方や答え方を変えられるとわからなくなったみたいです。

それにしても、試験中に国語や社会の問題文を読まないなんて。。。
長い文章をみると、読むのが嫌になるそうです。

ふぅ~

息子は、「ため息つかないでね。怒られた気分になるから。。」と、いいます。
ため息どころじゃない、「まじめにやれ~」と怒鳴りたい気分でした。



2011年12月23日金曜日

天皇誕生日に試験勉強

今日は、天皇誕生日です。今年は、日本国中とても心を痛める大災害がありましたが、天皇陛下が被災地にお見舞いくださったり、思いを寄せるお言葉を頂くと、とても落ち着きます。歳をとるとともに、まるで日本人の遺伝子に刷り込まれているように、天皇を思うことが増えてきました。

明日は、日能研のテストです。今日は一日中、息子と試験勉強をします。
今もとなりで漢字練習をしています。

試験対策をたてるにあたって、息子に塾の勉強の仕方や、宿題の提出とチェックなども聞きました。
社会などは、授業でやる内容の何倍もの情報が、宿題の問題集に含まれています。やってくるか、こないかは、ほとんど子供しだいで、丸つけも塾ではやらず家でやってくださいということでした。

なんか、問題集だけ家でやってればいいじゃんと思います。

息子は、ほとんど宿題をやっていっていないことが判明しました。
親としても、無関心であったことには反省しますが、塾も放置しないで教えてくれればいいのにとおもいました。

まあ、でも今気づいてよかったです。
じっくりと、問題集を見ると良い問題集です。
もう、最後の章ですが、この冬休みにでも、社会だけでも、息子とやりなおそうかと思います。

2011年12月22日木曜日

お父さんの書いた中学受験体験記を読むところから

息子が中学受験をしたいと言い出してから、親として何ができるのか、色々と本を読み漁っている。
「父親の役割」をキーワードにしているので、中学受験を経験したお父さんの本が中心だ。
そのキーワードで、かつ本まで出しているお父さんなので、つくづく「優秀だな~」と感じる。また、ご子息も優秀で、結果も御三家合格という流れだ。色々、ご苦労はあったようだが、なんか遺伝子が違うなって、エピソードを読んでも思う。

しかし、中学受験の雰囲気だけは何となく感じることができた。
塾長が書いた本では、勉強は塾に任せろと言っているが、それでは生けないことはわかった。
実際に、息子は一番したのクラスにいたまま、今まで無駄に月謝を払い続けている。
ちょっと、テスト前に、国語を読み合わせをやってあげただけで、上から2番目のクラスの平均点となったそうだ。今まで、どんな指導してきたんだろうと思う。

勿論、息子の勉強に全く無関心だった私に問題があるのだが。

さて、これから、ろくに受験勉強をしたことがない父親と、
日能研の一番下のクラスで、勉強とはシールをもらうことと思っている息子と、
どんなどたばたの2年間の中学受験が待っているのだろうか。

救いなのは、息子がやりたいと言い出したことと、私も息子と一緒に楽しめそうだと思ったことだ。
実は、いままで息子とは何かに一緒に取り組んだことがない。
今後、父子の思い出をどう作っていくか、正直悩んでいたところもあった。

今回、息子からの提案で、共同作業のテーマが出来て嬉しい。

勉強嫌いで、計画を立てるのも下手な父親であるが、なにかできることはあるだろう。
とりあえず年末までは中学受験体験記を読み漁り、息子の塾に相談に行ってみようか。


2011年12月19日月曜日

母性の塊???

先週、同僚と飲みに行った時に、「お前は母性が強いからな」と言ったら、本人にはそう言われたことがあまりにも意外だったらしい。

「こないだのはどういう意味だ?」と、聞くので、

「父性って、自分をきびしく見つめ、改善するということなんだよ。
お前、規則とか時間の約束とか、すご~く苦手じゃん。
自分にも、恐ろしく甘いし。

ようは、お前の中には、父性というものがないから、
のこっているのは母性だけだと言ったんだ。」

と言ってやった。

「消去法かよ!」と、ふくれていた。

何を期待してたんだ??

47都道府県

息子と47都道府県の暗記をしています。

私は、地理が苦手で、栃木と群馬、鳥取と島根は「どっちが右だっけ?」あと石川、福井、富山は、日本海側というざっくりした地理感のまま、現在に至っています。勿論、新潟なんて、漢字で書けません。

そんな親父の息子ですので、期待はしてなかったのですが、殆どの都道府県を言うことができました。それも、その地で一番有名な遊園地名と一緒に。

そう、わたしの息子は遊園地マニアです。
いつも、インターネットで日本国内はもちろん世界中の遊園地を検索してます。
入場料はいくらだとか、身長制限がいくつだとか、そういったことをとても良くしっています。

幼稚園のころからの夢は、「遊園地を作る」だったので、
もう何年も追い続けている夢なのでした。

今までは、家で遊園地の話をされると、もううんざりという感じでした。
「遊ぶことばっかり考えるな」
「こないだXXXへ行ったばかりだろう」
「そんな金どこにある」
「うるさい」
と、子供に言っちゃいけない言葉のオンパレード。

でも、今日で変わりました。
「息子よ。お前はすごい。その暗記力さえあれば、確実にパパは超えられる!」


・都道府県庁所在地、
・山地・山脈・河川・湖・湾

ここまで暗記しよう。
パパも、頑張る。
小学校の時、勉強してないので、こっそり暗記します。




2011年12月15日木曜日

友人のお母様が悪性脳腫瘍に。。

昨晩、友人から、お母様に悪性脳腫瘍が見つかったと電話があった。
余命半年、手術が成功しても1~2年。5年後の生存率はゼロだと宣告された。

ご本人には伝えないそうだ。

私の部下のお母様も、先週心不全で入院された。
こういった話が、まわりで多くなった。
それなりに、自分とその周辺が歳をとってきたということだろう。


2011年12月14日水曜日

中学受験

今、息子は小学4年生です。
公立の学校に通ってます。
私が卒業した学校でもあり、校舎も、教室も、体育館もそのままであり、授業参観などで行く時はとても懐かしく感じています。
このまま卒業すれば、同じく私が通っていた公立の中学校に行くことになります。
それはそれでまた、懐かしい思いをさせてくれるでしょう。

昨晩、息子が「私立の中学校に行きたい」といいました。
理由は、はっきりしないのですが、2年生の妹が私学に通っている影響だと思います。
これまで、娘の学校の運動会、学園祭などに連れて行ったなかで、自分には私立が合うんだいうのを感じたのではないかと思います。

小学受験は、息子の時は考えなかったのですが、娘の時は家内の意見もあり受験しました。
娘も学校見学に行き、その綺麗な校舎や制服を見て、一目ぼれという感じで、自らの意思も強かったです。私も、今後、中学や高校を受験するために、夜遅くまで塾に通わせたり、近所の中学の悪ガキどもを見ているので、娘は守られた環境で育てたいと思いました。

ただ、息子は男なので(当たり前ですが。。)、社会にでて、色々な人と接していくには、公立校の方がたくましく育ってくれると思っていたので、小学受験なんて考えてもいませんでした。また、息子は言葉が遅れていたので、小学校受験という選択肢もなかったと思います。

今でも息子は、成績が良い方ではありません。
先日の保護者面談で言われましたが、ちょっとロジカルな思考が足りないところがあります。
本人の希望で、塾に通い始めたのですが、一番下のクラスです。
はっきり言って、友達に合うために通っているくらいだと思っていました。

でも、私立の中学に行きたいという希望を持っていたようです。

わたしからは、

「中学受験は、親としてはする必要がないと思う。
しかし、本人がしたいというのであれば、それを止める気はない。
やるからには、真剣にやってもらいたい。

真剣にやるからには、いくつかの犠牲がある。
遊ぶ時間がなくなる。勉強時間が増える。親に経済的負担をかける。
この犠牲を、これからの2年間、途中で「や~めた」とほうり出さない覚悟があるなら、中学受験を許す。」

と伝え、息子もやりぬくと宣言しました。


まあ、これだけ子供に発破をかけたのだから、父親としても中学受験について、勉強を始めます。


2011年12月13日火曜日

人型寝袋

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この冬、湯たんぽに続いての節電アイテムをゲットしました。

「人型寝袋」。

ドンキホーテで、4,980円です。

足も手もチャックで閉められるので、熱が逃げるところがなく、
また、寝袋にくらべても体への密着感があるので、手足は温かいです。
フードは、使い物にならず、首元から寒さが侵入してくる感じです。

あまり厚着をせずに、この人型寝袋に入って寝ました。
朝方4時くらいに、部屋の中が5度くらいになるのですが、やはり首もとから寒くなり、
一枚布団をかけたくなりました。

スキーウェアを着て寝ている感覚なので、慣れるまでは寝た気がしないかもしれません。
布団や寝袋のような、包まれた安心感がなく、
どこぞかで、野宿している感じがします。

歩く時は、ずるずる下がります。
特に階段を上るときは、一歩あがるたびにウェアの中の足だけが上にあがってしまい、踏み込む度に丈を短く踏んでしまい、引っ張られます。太もものあたりをつまんで、足の部分が下がらないようにしないといけません。


災害時は靴下や靴もはかずに、このまま逃げればいいのですが、寝心地は布団や寝袋が良いです。

2011年12月12日月曜日

母性愛・父性愛について考える

子育てを通して、「母性愛・父性愛」について考える。
子供がいなかったら、まず考えなかったテーマだ。


私は、母性・父性とは以下のように考える。

母性とは: ありのままを受け入れる愛、
父性とは: 心を律する愛。。。つまり、しつけ、

子供を対象とした場合、
生まれてきてくれたことに感謝をし、ありのままを愛すのが母性で、
社会で生きてゆくために、心を上手くコントロールできるようにしつけていくのが父性となる。

母性は、決して母親だけのものではないし、
父性は、父親の専売特許でもない。

私の場合は、父性が強いが、それは、男だからだけではない。
実際に、女性も、どちらかというと父性が強いのではないだろうか?

「勉強しないと、いい学校にいけないよ。」
「頑張らないと、あの子に負けちゃうよ。」
「あなた(夫に対して)、しっかりしてよ。」

とか、相手に対して、しっかりとした自己コントロールを求めている。

父性が表面化するのは、今まで育っていた環境が、競争社会だったことが考えられる。
「あなたのことを思っていってるのよ」と、言いながら尻を叩く。
実際、そう思い込んでるし。

でも、父性だけであれば、いきつく先は、相手否定、自己否定だ。

「だから、あなた(私)はダメなのよ」って。



まずは、
「生まれてきて、今も生きている。それだけで、意味があるし、素晴らしい。」
ということを、受け入れてあげることが大切だ。

安定的で、絶対的な母性が基本。

「母なる地球」というように、
まさに、心の大地となるのが、母性。

その上に形成されていく心に必要なのが、父性。

根本的に自分自身に愛されているという自信を持っている子は、逆境に強い。
また、母性がベースにある人には厳しさの中に温かさがある。


私は、子育てをしながら、
自分の中の母性を覚醒し、
たとえ自分の子供であっても、
「この子は、自分自身のために生まれてきたのだ」
と尊重することの大切さを学んでいます。

結婚は必要?

会社の忘年会の後、前の会社の同僚と飲みにいった。
終電を逃した(というよりも、乗る気がなかった)彼につきあい、
朝まで居酒屋にいることとした。後、5時間はある。

彼は、色々と話たかったのだという。
何が出てくるのかと思えば、
案の定というか、予想通りというか、
「俺、どうして結婚できないのかな~?」と。。。。

彼は、私と同じ43歳。
結婚歴はないが、いままで付き合った女性は数人いる。
優しいし、良い男ではある。

ただ、10年以上の付き合いになるので、
悪いところを言えと言われればいくらでもあげられる。
勿論、そんなこと当人は十分承知しているだろうし、
これから5時間ダメだしをするわけにもいかん。

私の口から出たのは、
「お前には、結婚ってあまり大切なものではないんじゃないか?少なくとも今は必要じゃないから、目の前で起きないんだよ。」だった。

「そっかな~」で終わってくれと思いながら、言ったのだが、
「それってどういうこと?」と来た。

おいおい、43歳のオヤジが朝まで結婚談義かよ~。
となりの大学生に聞かれたら恥ずかしいぞ。
まあ、時間はたっぷりあるし、仕事の話は、忘年会で十分したし。。いいか。。。


結婚って、必ずしも幸せになるってことではないじゃん。
憎しみ合う夫婦もいるし、下手したら殺しあうこともある。
生まれも育ちも違うあかの他人が、一緒に暮らすわけだから、上手くいかないほうが当たり前。

よく結婚は、我慢とか忍耐とかいうけど、修行見たいな面がある。
その修行が、必要な人もいれば、必要じゃない人もいる。

修行の内容も夫婦によって違うし、
結婚という形の修行をしなくていい人だっている。

結婚は資格じゃないんだから、特に今の世の中、
結婚しなくちゃいけないなんてことはないと思うよ。

お前の場合、結婚という修行が少なくとも今は必要ないんだよ。



と、要約してみればそんなことを話た。
これをダラダラと、酔っ払いの特権である同じことを何度もで、朝まで話した。

5時になった頃には、お互い「待ってました」とばかりに家に帰った。
寒かったな~。

次の日、ぼんやりとした前夜の記憶追っていた。
昨日の会話にもどり、
「俺にとっての結婚ってなんだ?」
という自問自答がはじまった。

その内容は別の機会に書くとするが、10年目にして結婚について考える良い機会となった。

2011年12月8日木曜日

息子と風呂で

息子と風呂はいって、学校のことを聞いてみようと思った。
息子は、自分のことを話すよりも、私の子供のころの話を聞きたがった。

息子の通う小学校は、私も通っていた小学校で、当時のまま(31年前)殆どかわっていない。
前日の保護者面談で、息子の話を聞いているとき、タイムスリップして、私自身が、先生に教室で注意されているような不思議な気がした。

「人の気持ちを考えないで、見て思ったことをそのまま口に出す。」

息子{4年生)は、背の小さい5年生に「3年生みたい」と言ってしまい、5年生に上履きを隠されたりして、軽い制裁を受けたそうだ。「それは、イジメだ。」と先生は、逆に5年生を怒り守ってくれたそうだが、私が小学生のころはそんなことを上級生に言ったら確実にブッ飛ばされていただろう。

というよりも、ブッ飛ばされた。


私が、5年生の頃だった。
廊下ですれちがった6年生の女の子の顔に目立つアザがあった。
私は、何も考えず「シミがついてる」と本人に言ってしまった。
その場は何もなく、教室に帰ったが、次の休み時間には、その女の子の上級生が教室まできて、呼び出された。

女子からえらく怒られたあとに、男子からは散々蹴りをくらった。
それどころか、その6年生の担任に、ひっぱたかれ、
自分の担任からもひっぱたかれた。

「そんなに~」と思ったが、まあ怒られるのには慣れていたので、
いつもより、余分に怒られたな~くらいだった。

だが、その事件はそれでおさまらなかった。
その6年生の女の子は、登校拒否になってしまったのだ。

「もしかしたら、このままあの子は死んでしまうかもしれない。そしたら、お前は人殺しだ。」
と、先生に脅かされた。

この歳で人殺しになるのはかなわない。

学校帰り、なんとかその女の子の家を探して、あやまりにいった。
ピンポンしても、誰も出てきてくれない。

次の日は、その子のお母さんが出てきたが、「帰れ」と言われた。

謝っても許してもらえない。

この体験はきつかった。
子供の頃は、悪いことをしたら、何回か叩かれた後、あやまれば許してもらえるとおもっていた。
それが通用しない。

いままで、禿のおじさんに「禿ちゃん、こんにちは」といって、げんこつをくらったりしたが、
それでも、見たまま人のことを「デブ」だの「ちび」だの言いたい放題の子だった。

しかし、人は傷つけると、学校にもこなくなるし、死んでしまうかもしれない。もし、死んでしまったら、一生人殺しとして生きていかなくてはいけないとおもうと、恐ろしくて、恐ろしくて、眠れなかった。

2日休んで、その女の子は学校にきて、私の謝罪も受け入れてくれて、ことなく終わった。
しかし、これは本当に良い薬となった。


息子は、この話をきいて、思うことがあったようだった。


2011年12月7日水曜日

保護者面談

昨日、家内に誘われて、急きょ長男の保護者面談に行きました。
軽い気持ちで行ったのですが、問題があるようです。

1. 空気を読めずクラスで浮いてしまうことがある。
2. 聞かれている質問のポイントを見失うことがある。

実は、家庭でもわかっていたことなので、
今では、多少なりにも友達がいることや、本人は明るくやっていることで、
「このままで良い」と思っています。

「まわりの空気を読みなさい」と小学校4年生に指導する気にはなれませんし。。

ただ、この2つの問題は、「状況判断が出来ていない」ということから出てきている問題と思っています。状況判断というよりも、「論理的な考え」という方が正しいかもしれません。

「原因と結果の因果関係」の理解不足でしょう。
どうやって、教えていったらいいか、私も父親として色々と模索しようと思います。


2011年12月5日月曜日

湯たんぽと寝袋

節電ムードが継続しているこの冬の我が家のブームは、「湯たんぽ」である。
一人ひとつ湯たんぽを配布した。

食卓の下に、布をとりつけ、中にデロンギ・オイルヒーターの500Wを入れてコタツ風にして使っていたが、デロンギは電気代が馬鹿高いと聞いたので、足元にそれぞれ湯たんぽを置くことにした。

購入したのは、600円弱のオレンジの立てられるプラスチックのもの。
沸騰したお湯を入れても大丈夫だが、布なしでは熱すぎるので、沸騰前くらいが良い。
外気にもよるが、足元において3~4時間は温かい。
寝るときに布団に入れておけば、朝になっても暖かいので8時間くらいはぬくぬくだ。

お勧めの使用方法は、
足元とお腹を温めること。2つ必要だけど、体がぽかぽかして、ねむ~くなる。
お通じがよくなったとか、疲れがとれたという人もいるようだ。

そして、第2の節電は、「寝袋」。
3年前に、二つの家を行ったりきたりする生活があり、
いちいち、布団をもっていくのは面倒なので、寝袋にしてみた。

この体と一体化する寝袋は素晴らしい。
1. すぐに温かくなるし、はがれないのでずっと温かい。
2. 寝返りは打ち放題。でも、はがれない。
3. 包み込まれるような安心感がある。
4. 洗濯機で丸洗いできる。
5. 寝るとき以外にも、食卓、リビング、仕事机などで使える。

そして、この冬、湯たんぽと合体した寝袋は、心も体も、財布も(?)温かくしてくれるだろう。



NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争

2日間にわたり、「NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争」を見ました。

そこにあったのは、90歳を超える老人たちの悲痛な叫び声でした。

「出兵現地の母子を殺めてしまったこと。」
「敵兵の捕虜にならぬよう肉親を殺めてしまったこと。」
「村の若者を『死んでこい』と戦場に駆り立ててしまったこと。」

そして、「自分だけが生き残ってしまったこと。」

殆どの老人は、今まで戦争時について多くを語らなかったそうです。
思い出しては生きていけなかったのでしょう。
また、生き残って内地にもどっても、生き残ったことへの制裁を受けているような毎日だったいっています。
今でも自分の子孫が、繁栄していることにさえ負い目を感じ、素直に喜べないそうです。

インタビューで、
「殺すことを拒否できなかったのですか?」と聞かれ、

「拒否すれば殺される。戦争で殺されるのとはわけが違う。」
とポツリと答えていました。

命令に拒否すれば、「非国民」。
残した家族も、酷い仕打ちにあったのでしょう。

選択の余地のない「愛国心」に自分を置き、
非道なことも、「大義」の名のもとに、やらざる負えない。
しかし、終わってみれば、死ぬまで自分の心は苦しめられる。

そういった葛藤の中でも、日本を立て直し、子供を育て、命をつないでくれた
方々に、私は感謝します。

今ある命、そして妻と二人の子供をはじめ、家族、仕事仲間、友人を大切にしようと思います。