そこにあったのは、90歳を超える老人たちの悲痛な叫び声でした。
「出兵現地の母子を殺めてしまったこと。」
「敵兵の捕虜にならぬよう肉親を殺めてしまったこと。」
「村の若者を『死んでこい』と戦場に駆り立ててしまったこと。」
そして、「自分だけが生き残ってしまったこと。」
殆どの老人は、今まで戦争時について多くを語らなかったそうです。
思い出しては生きていけなかったのでしょう。
また、生き残って内地にもどっても、生き残ったことへの制裁を受けているような毎日だったいっています。
今でも自分の子孫が、繁栄していることにさえ負い目を感じ、素直に喜べないそうです。
インタビューで、
「殺すことを拒否できなかったのですか?」と聞かれ、
「拒否すれば殺される。戦争で殺されるのとはわけが違う。」
とポツリと答えていました。
命令に拒否すれば、「非国民」。
残した家族も、酷い仕打ちにあったのでしょう。
選択の余地のない「愛国心」に自分を置き、
非道なことも、「大義」の名のもとに、やらざる負えない。
しかし、終わってみれば、死ぬまで自分の心は苦しめられる。
そういった葛藤の中でも、日本を立て直し、子供を育て、命をつないでくれた
方々に、私は感謝します。
今ある命、そして妻と二人の子供をはじめ、家族、仕事仲間、友人を大切にしようと思います。
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