2013年10月31日木曜日

蒙古襲来に疑問

子供の歴史の勉強を手伝っている時、「蒙古襲来」のところで疑問が生じました。

蒙古襲来と言えば、

1274年 文永の役
1281年 弘安の役

です。

第1回目の襲来がある前、フビライハンは、何度か日本に威圧的ではあるが、国交を結ぼうという手紙を出しています。

これを日本は、無視しました。

で、「バカにするな」ということで、
責めてくるわけです。

私が学校で習ったことは、
「神風が吹いて、負けそうになっていた日本は、一夜にして救われた」でした。

そして、第2回目も台風で救われたというのが、授業内容だったと理解しています。

疑問を感じたのは、
第1回目と2回目の間に、元は再び使者を日本に送っています。
この使者6名を日本は、斬首したのです。
そして、2回目が起きた。

かろうじて、1回目に勝つことができた日本が、
使者を斬首するという強気な外交をしたのでしょうか?

調べてみると、
1回目に、神風または台風があったいう記述は日本側にはありません。
これは、高麗史に書いてあったのです。

想像するに、

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日本は苦戦を強いられるものの、かなり強く、結果、元・高麗軍をやっつけた。

高麗は、元に日本攻めを進めていたたので、
この被害は、フビライハンに、報告することができなくて、
天候の責にした。

日本は、元・高麗軍の実力のほどを知ったし、
今度は、準備もしていたので、
勝てる自信があったから、使者の首を斬った。

第1回目の報告をきちんとされていないフビライは、
では、もう一度責めようとなった。

そして、今度もさんざんの目にあわされ、上陸することができなかった。
日本は、海に待機する元・高麗軍に、夜襲をくりかえしたので、相手はかなりのパニックになっていた。そして、とどめの台風で、壊滅状態になった。

フビライは3回目もやる気だったが、
この時は、さすがに内部から反対が多かったという。
「日本は強いし、上陸したら四方八方から責められるので勝てない」

この事実を知ったので、3回目を止めた。
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さらに調べると、
蒙古襲来絵詞も江戸時代に書き加えられた(改竄された)ものだそうです。


この部分をみると以下にも、日本の武士が滅多打ちにされているようですが
後ろには、逃げ惑う元兵士がみれるし、来ているものも違う。

なぜ、日本が弱くて、かろうじて神風に助けられたという話になったのかは、
謎が残るが、常識的に考えれば、地形的な利点を生かした日本勢は強かったという理解の方が自然だと思う。

2013年10月25日金曜日

隠蔽する日本、捏造する韓国

日韓の近現代史において、その関係は、加害者と被害者である。

加害者である日本は、あまりに近現代史を直視しないがために、
国民的に無知であると言わざる負えない。
これは、韓国から見れば隠蔽とも、加害者意識の欠如とも映る。

また、韓国は、李氏朝鮮末期の自国の状況の自己反省不足と責任転嫁が感情的かつ過剰であり、中国での被害や、フィクションまでも史実としてとらえるので、歴史の捏造と映る。

日本は、そのエスカレートして捏造された部分にのみフォーカスし、それが史実でないことを知ると、全てがなかったように、過去を正当化する節が昨今見られる。

言い換えれば、日韓は、過去の隠蔽と記憶の過剰の繰り返しで、
過去の清算と相互理解からは、ほど遠いところに進み続けている。

また、マスコミも、反日・嫌韓は、煽るほどにお金になる。
政治も、これを利用しようとする。
そして、国民はそれを信じ、またエスカレートしていく。

日韓ともに、愚民にならないためにも、
正しい歴史認識を相互で持つ努力が必要だ。

「閔妃暗殺」 角田房子著を読んで矛盾を感じる

韓国の王妃、閔妃を日本人が殺害したことは、日本であまり知られていないようだ。
昨年、李明博元韓国大統領が、天皇陛下に対し暴言を吐いた時、多くの日本人の怒りは相当なものであった。

しかし、韓国民から言わせると、日本人は韓国の王室に雪崩込み王妃を殺して、庭で焼いたと激怒する。

これは非常に心が痛む。
しかも、日本人の下手人は全員証拠不十分で、無罪放免となっている。

当時、何が起きたのか?

とりあえず、角田房子さんの書かれた「閔妃暗殺」を読んだ。

この本は、よくリサーチされており、当時の朝鮮や王室の状況、日本、清国、露西亜の関係など、とても勉強になった。

しかし、閔妃殺害の場面になると、展開が唐突すぎる感じがした。
資料が足りないのか、またその資料を日本が隠蔽したからなのか、真相は分からないが
肝心なところが消化不良があった。

特に、不快感がのこるのは、
単行本の401頁に書かれてる内容だ。

「さらに閔妃の遺体のそばにいた日本人の中に、同胞として私には書くに堪えない行為であったことが報告されている。もと法制局参事官で、当時朝鮮政府の内部顧問官であった石塚英蔵は、法制局官末松兼澄あての報告書のなかに「誠にこれを筆にするに忍びないが―」と前置きした上で、その行為を具体的に書いている。」

以前、韓国の方から、「日本人は、閔妃を殺害した後に犯した」と言われたことがある。

「死姦」など、日本の文化で信じられるものではない。

まして、数十人が殺気立ち、閔妃を探し、かつ殺害した遺体を庭に引きづりだし、
その上、目撃者がまわりにいるなか、死姦するなど、状況を考えてもありえるないことである。

その石塚英蔵の報告書というものを見てみると。
「殊に野次馬連は深く内部に入込み、王妃を引き出し、二三ヶ処刃傷に及び、且つ裸体とし、局部検査[可笑又可怒]を為し、最後に油を注ぎ焼失せる等、誠に之を筆にするに忍びざるなり。其他宮内大臣は頗る惨酷なる方法を以て殺害したりと云う。」

とのみ、書いてあり、死姦などを思わせるものはない。
これが、角田さんのいう「具体的」なのか?

私には、この文章は、こう読める。

「ことに野次馬達は(何人?)は、内部に入り込み、王妃を引きづりだし、2,3か所の刀傷を裸体にし、その場所を検査した[ばかばかしい]、そして最後に油を注いで焼いたなど、筆にするのも嫌なことだ。その他、宮内大臣(韓国人?)は、とても酷い方法で殺害したと証言する。」

ネットで調べると、「死姦した」というのは、
韓国のキム・ジンミョンという人が、この角田さんの本を読んで創作したらしい。

また、角田さんは、暴徒の日本人たちは、閔妃の写真をもっており、それをもとに宮中を探したという。閔妃は、写真好きであり、日本政府も持っていたが、事件後、隠蔽のために焼却したという。

これも矛盾だらけで、では、朝鮮には写真はないのか?
閔妃は、毎晩、露西亜人と仲良くパーティをしていたともいう。
写真好きなら、露西亜に閔妃の写真はあるのではないか?

100年たった今でも、これだと証明できる写真は出てきていない。

私は、閔妃殺害という暴挙は、いかなる理由があったとしても許されることではないと強く思う。しかし、死姦や写真焼却などはねつ造と言わざる負えない。

そして、日本人全員無罪は、隠蔽だろう。

2013年10月24日木曜日

韓国、日本人観光客が減少を続けている

韓国を訪れる日本人が、減少を続けており、韓国文化体育観光省が約9,200万円の緊急支援をするそうです。

日本では、高校の修学旅行での渡韓も父兄が反対を出すなど、ますます日本人観光客は減少すると思います。

北朝鮮の脅威
ウォン高による割高感
そしてなによりも、一連の反日運動

今回の支援金などでは、解決しないでしょう。

一方、韓国を訪れる中国人は増えているそうで、日本観光客を上回っているそうです。お金遣いも、派手らしく、現地では日本人よりも中国人に重きを置いているのが実情です。

「日本人は、冷やかしが多くて、お金を使わない。」
というのが、現地の声らしいです。

「それなら、それでいいじゃないか。」
という、冷めた声が日本から聞こえそうです。

2013年10月23日水曜日

斥洋斥倭

1894年に朝鮮半島で起こった甲午農民戦争(東学党の乱)の朝鮮民族のスローガンである。

西洋と日本を追い出せ!

ということです。

当時、朝鮮半島では、日本の支配力は弱く、清国が朝鮮を属国として内政干渉をしている時です。
ロシア、アメリカ、フランス、イギリスも朝鮮半島に触手を伸ばしはじめているころで、特にロシアの影響が大きくなり初めていました。

また、政治も高宗王の奥さんである閔妃とその一族による悪政が続いており、国民は食べるに困るほど貧しかったのです。

それでも、国民は、清に対しては文句を言わず、
西洋の国々は、ひとまとめにし、
日本だけは、倭という日本を蔑む呼び方で、排除をスローガンとしています。

どんなに、貧しくとも、
清の属国であろうとも、
国政がひどくとも、
日本だけは、嫌いだったようです。

日本もロシアの脅威だけ抑えられれば、
このような朝鮮半島には、関わりを持ちたくなかったでしょう。

それは、福沢諭吉の脱亜論などでも伺えます。


嫉妬というもの

「嫉妬」という言葉は嫌な言葉だ。
しかし、「嫉妬」は、生きている以上持ってしまう感情であるし、
「嫉妬」があるからこそ、人間は成長できる面もある。

「嫉妬」は相手との比較において発生する。
それも、自分の方が劣っているとか、負けていると感じる時だ。

嫉妬から生じる行動パターンは、

1. 相手を責める
2. 自分を責める
3. 不安に憑りつかれ、無気力になる

だろう。

こういう行動パターンが、自分自身にあったとき、
自分が「嫉妬」しているかどうかを確認するのが良い。

自分が「嫉妬」しているというのを認めるのは、結構厳しいものだ。
自分の負けを認めることであるからだ。

しかし、自分のネガティブな感情の犯人を特定するのはよい。

自分は、今、嫉妬している。
誰々に嫉妬している。
何で嫉妬しいる。

そして、嫉妬している自分を認めてあげる。

次に、分析だ。

相手を責めて、改善できるものか?
自分の努力で、できるものはないか?
持っている不安は、本当におこるのか?

その上で、対策をとる。

私の場合は、大抵2通りになる。

自分の今できる努力をし、自分を成長させる。
必要のない競争からくる嫉妬であれば、その競争自体を止めてしまう。
結構、必要のない競争はあるものだ。






東洋、西洋の中心は、どこだ?

中華思想って、中国が中心に世界があるという思想だ。
非常に身勝手な考え方だと思うが、一理あるような。

ヨーロッパ人は、自分達のことを西洋という。
日本は、日の元、
つまり日が昇る国なので、自分達が東だと認めている。
英語でも、Far Eastというので、ヨーロッパにも認められているんだろう。

では、いつから西と東という考えになったのだろう。
チンギスハンのモンゴルが、世界をアジアやヨーロッパを制していた頃なのかな。
なぜ、ローマではなかったのかな?

現代は、東洋・西洋の2極論では、世界を語れないし、
もちろん、現在の中国は、できて60年そこそこの国なので、世界の中心とは思えないが。

2013年10月21日月曜日

地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く

1910年 日韓併合の時に、石川啄木が詠った俳句である。

明治政府への批判と言われているが、
朝鮮民族の寂しさに思いを寄せたものに感じる。


2013年10月20日日曜日

レジャーシートのマナーを考える

昨日は、台風の影響も受けず、息子の小学校最後の運動会をすることができました。
相変わらず足は遅いが、応援団で太鼓たたいたり、放送委員で司会をしたりと、活躍しており、嬉しく感じました。

毎年、運動会で思うことですが、レジャーシートの使用範囲をコントロールすべきだと思います。

春の花見でもそうですが、日本人には自分たちでレジャーシートのマナーを持つことは残念ながらできません。一番良いところを自分が占拠するために、大きなレジャーシートを我が物顔で置く。あさましいほど朝早くから場所取りをはじめる。企業で大規模にやったり、お金をだして専門会社に頼んだりもする。ここまでくると、自分たちで考えて良くすることはできないでしょう。

今回の運動会で思ったのは、保護者席という限られた場所にレジャーシートを張り巡らせ、殆どの時間、誰も座っていません。良い場所をとって、荷物置き場にしているだけ。自分の子供の出番を迎えた親たちは、その誰もいないレジャーシートの後ろでみています。写真をとるにも遠い。

他の場所でも、レジャーシートはしきっぱなしで歩き辛い。

これは、学校の先生の考えが足りないのです。
民間のイベントで、そういう場面があれば、改善されていて当然です。

主催者側が、良くしなくてはいけません。
残念ながら、親達が率先して直すことはできないようなので。

それでも、運動会がおわって、ゴミ一つないグランドをみると、日本人のマナーレベルの高さを感じます。


2013年10月18日金曜日

波風を立てない日本人

和を以って尊しとなす

素晴らしいですね。

この価値観は、
波風をたてないように生活する日本人の智慧でもあると思います。

でも、間違いは起こりますし、
波風が立つことも多いにあります。

こういったとき、
なかったことにしよう
というマインドが働くことも。

言葉を変えると隠蔽です。


波風をたてず
無かったことにする
臭いものには蓋をする
有耶無耶にする

などなど。

もちろん、世界各国あることですけど。

原発などは、隠蔽せずに正々堂々と対処して頂きたい。

2013年10月16日水曜日

唐辛子が、日本から韓国へ伝来した背景。

真っ赤な唐辛子をつかった料理と言えば、韓国料理であるが、実は唐辛子は1600年頃、日本から朝鮮半島に渡ったものである。

別に、日本からであろうが、韓国からであろうが、そんな話はどうでもよい。

アジアに唐辛子を普及させたのは、ポルトガル商人であることには違いないからだ。

14世紀ころ、ヨーロッパで食肉の調味料として、塩以外に、香辛料が使われはじめた。
当時、高価であった香辛料をもとめて、ポルトガルとスペインは、アジアとアメリカに船を出し、貿易ルートを開拓した。

西へ航路をとったコロンブス(スペイン船)が、南アメリカで見つけた唐辛子を胡椒と間違えて、ヨーロッパに持ち帰ったのが香辛料としての唐辛子(Red Pepper)のはじまりで、東へ航路をとっていたポルトガルによって、アジアに普及されたという。

日本には、ポルトガル宣教師によって1542年に伝来したという説がある。

日本では、唐辛子は、虫よけや、足袋にいれる防寒目的で使われており、食用としては広まらなかったが、韓国では食用として普及していった。韓国ではそれ以前は山椒が主に調味料として使われていたという。

このスペインとポルトガルの貿易が、香辛料だけの話であったら、世界は平和であっただろう。

しかし、香辛料貿易は、やがて奴隷貿易となり、侵略の歴史へと変貌していく。

コロンブスは、南アメリカで期待していた、金・銀・香辛料を見つけることができず、かわりに現地のインディオを奴隷として連れ帰った。激しく抵抗するインディオを殺戮し、1492年から1504年の12年間で、エスパニョーラ島の人口は7分の1になった。

その後も、スペインの南アメリカ征服はすすみ、金・銀・佐藤・コーヒーなどを強奪した。強制労働と虐殺で、現地の労働力が減ると、アフリカから黒人を奴隷としてつれていき、労働力とした。

ポルトガルも、インドのゴア、マレー半島のマラッカ、中国のマカオを占領していった。

奴隷貿易には、オランダ、イギリス、フランスも参加し、三角貿易を形成した。

三角貿易とは、

ヨーロッパから、アフリカには、工業製品をうり、
アフリカから、南アメリカ・西インドへは、奴隷を売り、
南アメリカ・西インドから、ヨーロッパには、砂糖、綿花、コーヒー、タバコなどを売り、

3回、儲けるというものだ。

この奴隷貿易で、大きな利益をだし、国を大きくしたのが、イギリスとフランスだ。

日本は、鉄砲と一緒に唐辛子が伝来し、
やがて、ヨーロッパの覇権争いに巻き込まれていくのだ。

そして、この流れに韓国も巻き込まれていく。
唐辛子が伝来したように。



2013年10月14日月曜日

群盲評象

「群盲評象」

像の鼻としっぽと言う人もいる。

インドの話だ。
目の見えない人に、象を触らせて、その象について述べさせる。
鼻を触るものもあれば、牙やしっぽ、胴体、足を触るものもいる。
当然、表現は違うものになる。

自分が正しいと思っている盲人達は、次第に自分の主張を荒げていくが、
象という一つの生き物の違う場所を触っていたのだとわかると、
和解するという話だ。

つまり、狭い視野の間は論争が耐えないが、広い視野を持つことによって、分かり合えるということだ。

今、国際間でも、人間関係においても、論争が耐えることがない。
特に昨今、日中韓では歴史を政治問題化されているようだ。

歴史は、同じ出来事を観ていても、
立場によって捉え方はかわる。
年代によっても、変わるし、
政治やメディアに誘導されやすい。

2013年10月12日土曜日

飛行機のるなら、アジア系

香港出張には、久しぶりにJALに搭乗した。
JALはサービスは良いが、高かったので、避けてきたが、
今回の香港便はとてもリーゾナブルな価格だった。

私の空の旅は、いつでもエコノミーである。

そんなエコノミー利用者の私が考えるに、空の旅をするならば、アジア系の航空会社がとにかく良いと思う。JAL, ANAは当然ながら、大韓航空、アジアナ、シンガポール、タイ、チャイナなど、とにかくキャビンアテンダントのサービスが優しい。アジア特有のホスピタリティが、文化としてあるのを感じる。

一方、私ができるかぎり避けるのが、アメリカ系の会社だ。
キャビンアテンダントは、太ったおばさんばかりで、しかも威圧的。
デカくて、ガサツで、ぶっきらぼうで、なぜか命令的なのだ。

アジア人を見下しているのではないかと、感じることも少なくない。
気を使い、機嫌を害し、クレームでもいれてやろうかとペンをとるが、
二度とのらないければよいと思うことが毎回だ。

一度、吐き気を催しているおばさんに、シートベルトサインがついているからとトイレに行くことを許さず、そのおばさんは床に座り込み、お願いしますと泣き出したことがあった。それでも、そのアテンダントは、「私の責任になる」といって、知らん顔で、座ったままだった。これには、さすがに、まわりの日本人も、「いかせてやれ!」と怒鳴る声があちこちから飛んだ。

先月、家族旅行で、グアムにいった。
家内がとったので、アメリカ系の航空会社であった。
グアム行きということもあり、キャビンアテンダントは、日本人だった。

が、普通の日本人ではない。
アメリカナイズされたおばさんだ。

子供用にキッズメニューを2つ頼んだが、
一人分しか聞いてないといいはる。

2人頼んだと思うんですけど。
と、やさしくいっても、
「いいえ、一人分です」といいはる。

ああ、もうこの時点で、アジアのサービスレベルでは、落第だと感じた。

きっと、アメリカ人の旦那をもち、二度と日本では適用できない人たちなんだろうな。


これからも、飛行機にのるときは、アジア系を選ぶようにします。

2013年10月11日金曜日

香港出張

2泊3日の香港出張から帰ってきた。

今回は、仕事は30分程度のミーティングで終わった。
当初は、かなり困難な交渉になると思っていたし、
収穫なしで帰国することも覚悟していた。

しかし、行ってみるとなんのことはない、
我々のためにドアはオープンだという。

仕事は時間ではない。
タイミングだ。
決まる時は決まるし、
ダメな時は、時間をつかっても、労力をつかっても決まらない。

ミーティングの後、そんなことを考えながら、ホテルにもどった。

ホテルにもどったのは、お昼前だったが、
外出する気にならなかった。

ホテルの地下にスーパーがあったので、
そこで、食料を買って、
免税店でかったワイン2本で、
一人で酒盛りをすることにした。

ずっと、読みたかった本をパラパラめくりながら、
チキンライスと、ツナサンド、サラダ、ポテチ、ヨーグルト、
お口直しに、チンタオビール、
で、ワイン。

途中なんどか、ぬむりこけて、
また、おきて、食べて飲んで、読んで、寝る。

香港まで来て何してるんだという感じだが、
出張先でないと、こういうことも出来ないもんだ。