真っ赤な唐辛子をつかった料理と言えば、韓国料理であるが、実は唐辛子は1600年頃、日本から朝鮮半島に渡ったものである。
別に、日本からであろうが、韓国からであろうが、そんな話はどうでもよい。
アジアに唐辛子を普及させたのは、ポルトガル商人であることには違いないからだ。
14世紀ころ、ヨーロッパで食肉の調味料として、塩以外に、香辛料が使われはじめた。
当時、高価であった香辛料をもとめて、ポルトガルとスペインは、アジアとアメリカに船を出し、貿易ルートを開拓した。
西へ航路をとったコロンブス(スペイン船)が、南アメリカで見つけた唐辛子を胡椒と間違えて、ヨーロッパに持ち帰ったのが香辛料としての唐辛子(Red Pepper)のはじまりで、東へ航路をとっていたポルトガルによって、アジアに普及されたという。
日本には、ポルトガル宣教師によって1542年に伝来したという説がある。
日本では、唐辛子は、虫よけや、足袋にいれる防寒目的で使われており、食用としては広まらなかったが、韓国では食用として普及していった。韓国ではそれ以前は山椒が主に調味料として使われていたという。
このスペインとポルトガルの貿易が、香辛料だけの話であったら、世界は平和であっただろう。
しかし、香辛料貿易は、やがて奴隷貿易となり、侵略の歴史へと変貌していく。
コロンブスは、南アメリカで期待していた、金・銀・香辛料を見つけることができず、かわりに現地のインディオを奴隷として連れ帰った。激しく抵抗するインディオを殺戮し、1492年から1504年の12年間で、エスパニョーラ島の人口は7分の1になった。
その後も、スペインの南アメリカ征服はすすみ、金・銀・佐藤・コーヒーなどを強奪した。強制労働と虐殺で、現地の労働力が減ると、アフリカから黒人を奴隷としてつれていき、労働力とした。
ポルトガルも、インドのゴア、マレー半島のマラッカ、中国のマカオを占領していった。
奴隷貿易には、オランダ、イギリス、フランスも参加し、三角貿易を形成した。
三角貿易とは、
ヨーロッパから、アフリカには、工業製品をうり、
アフリカから、南アメリカ・西インドへは、奴隷を売り、
南アメリカ・西インドから、ヨーロッパには、砂糖、綿花、コーヒー、タバコなどを売り、
3回、儲けるというものだ。
この奴隷貿易で、大きな利益をだし、国を大きくしたのが、イギリスとフランスだ。
日本は、鉄砲と一緒に唐辛子が伝来し、
やがて、ヨーロッパの覇権争いに巻き込まれていくのだ。
そして、この流れに韓国も巻き込まれていく。
唐辛子が伝来したように。
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