2011年12月30日金曜日

中学受験 社会のお勉強

塾の社会の授業の進み方を聞いて、その速さにびっくりです。

小5の夏までに地理を終え、
小6の春に歴史、そして夏までに公民を終わりにする。

中学の時、暗記を不得意としていた私は、社会の点数の低さにいつも打ちのめされていました。
なので、高校受験は国語・算数・英語の3教科です。そして、米国にいってしまったので、社会と理科は苦手意識をもったまま44歳になろうとしています。

ただし、中学受験は、理科・社会を避けて通ることはできないようなので、やるしかないでしょう。
理科は、家内にまかせ、社会は私が受け持つこととしました。

遊園地マニアが功を奏して、息子は都道府県と庁所在地は言うことができます。
これだけでも、私としては、「すげ~」と思ってしまいます。
これから、山脈とか、火山、半島などを暗記していきます。

歴史は、まんがでいきます。
20巻そろえましたが、誰も手をつけていないのでちょっと心配です。
が、歴史は、私ももう一度勉強しなおしたいと思っているので、勉強したことをかみくだいて話をしてあげれば、歴史の流れはつかめるでしょう。

昨日は、時代の流れをやりました。

旧石器、縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、奈良、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成の15時代を暗記して、漢字で書けるようにしました。

忘れないように繰り返しやらせないと。。

この時代の流れに、簡単なエピソードを加えながら話をしてあげられたらなっておもってます。



2011年12月26日月曜日

サンタが親だとばれた日

小4の息子と小2の娘は、サンタクロースを信じていました。
学校では、サンタクロースは親だという友達が多くなっても、サンタクロースは絶対にいるんだと、クリスマスイブの夜に言ってました。

子供達が寝静まってから、プレゼントの梱包をしていると、
突然、息子が起きてきて、それを見てしまいました。

そのまま、肩をすぼめて、何も言わずに寝てしまいました。

1.サンタクロースは親だったんだと思った。
2.5つ頼んだプレゼントが、1つだけだった。

どちらで、がっかりしたのかはわかりません。
妹には、何も言っていないようですが、
このごろ、親をがっかりさせないようにしようというところがあるので、本当のところはどうなんだか。。


来年も、サンタクロースはいることでクリスマスは迎えるつもりです。


すくなくとも、私達親の心は、クリスマスになると、子供達の喜ぶ顔が見たくて、サンタクロースの心になるのですから。

クリスマスになると、親はサンタクロースに憑依されプレゼントをしたくなる。

日本語はこわいな!!

クリスマウスになると、サンタクロースのホーリースピリットにより、親は子供に贈り物をしたくなる。

うん、キリスト教ではないがこちらの方がよい。

日能研のテスト (試験問題ぐらい読めよ~)

天皇陛下誕生日にパパと試験勉強をした息子は、自信ありげに日能研のテストを受けに行きました。結構、自信をつけていたので、帰ってくるのが楽しみでした。

自転車で運動を終えて家に帰ると、すでに息子は帰宅しており、「パパ~、おかえり~!」と元気な声。これは、良く出来たのかと思いました。

しかし、本人いわく前より良く出来なかったということ。
どういうことだろうと、試験問題を確認しました。
殆ど、勉強したところです。

息子と一緒に確認すると、試験問題を読まずに回答をしたそうです。
私が出した問題の答えを暗記しただけなので、同じような問題でも、ちょっと言い方や答え方を変えられるとわからなくなったみたいです。

それにしても、試験中に国語や社会の問題文を読まないなんて。。。
長い文章をみると、読むのが嫌になるそうです。

ふぅ~

息子は、「ため息つかないでね。怒られた気分になるから。。」と、いいます。
ため息どころじゃない、「まじめにやれ~」と怒鳴りたい気分でした。



2011年12月23日金曜日

天皇誕生日に試験勉強

今日は、天皇誕生日です。今年は、日本国中とても心を痛める大災害がありましたが、天皇陛下が被災地にお見舞いくださったり、思いを寄せるお言葉を頂くと、とても落ち着きます。歳をとるとともに、まるで日本人の遺伝子に刷り込まれているように、天皇を思うことが増えてきました。

明日は、日能研のテストです。今日は一日中、息子と試験勉強をします。
今もとなりで漢字練習をしています。

試験対策をたてるにあたって、息子に塾の勉強の仕方や、宿題の提出とチェックなども聞きました。
社会などは、授業でやる内容の何倍もの情報が、宿題の問題集に含まれています。やってくるか、こないかは、ほとんど子供しだいで、丸つけも塾ではやらず家でやってくださいということでした。

なんか、問題集だけ家でやってればいいじゃんと思います。

息子は、ほとんど宿題をやっていっていないことが判明しました。
親としても、無関心であったことには反省しますが、塾も放置しないで教えてくれればいいのにとおもいました。

まあ、でも今気づいてよかったです。
じっくりと、問題集を見ると良い問題集です。
もう、最後の章ですが、この冬休みにでも、社会だけでも、息子とやりなおそうかと思います。

2011年12月22日木曜日

お父さんの書いた中学受験体験記を読むところから

息子が中学受験をしたいと言い出してから、親として何ができるのか、色々と本を読み漁っている。
「父親の役割」をキーワードにしているので、中学受験を経験したお父さんの本が中心だ。
そのキーワードで、かつ本まで出しているお父さんなので、つくづく「優秀だな~」と感じる。また、ご子息も優秀で、結果も御三家合格という流れだ。色々、ご苦労はあったようだが、なんか遺伝子が違うなって、エピソードを読んでも思う。

しかし、中学受験の雰囲気だけは何となく感じることができた。
塾長が書いた本では、勉強は塾に任せろと言っているが、それでは生けないことはわかった。
実際に、息子は一番したのクラスにいたまま、今まで無駄に月謝を払い続けている。
ちょっと、テスト前に、国語を読み合わせをやってあげただけで、上から2番目のクラスの平均点となったそうだ。今まで、どんな指導してきたんだろうと思う。

勿論、息子の勉強に全く無関心だった私に問題があるのだが。

さて、これから、ろくに受験勉強をしたことがない父親と、
日能研の一番下のクラスで、勉強とはシールをもらうことと思っている息子と、
どんなどたばたの2年間の中学受験が待っているのだろうか。

救いなのは、息子がやりたいと言い出したことと、私も息子と一緒に楽しめそうだと思ったことだ。
実は、いままで息子とは何かに一緒に取り組んだことがない。
今後、父子の思い出をどう作っていくか、正直悩んでいたところもあった。

今回、息子からの提案で、共同作業のテーマが出来て嬉しい。

勉強嫌いで、計画を立てるのも下手な父親であるが、なにかできることはあるだろう。
とりあえず年末までは中学受験体験記を読み漁り、息子の塾に相談に行ってみようか。


2011年12月19日月曜日

母性の塊???

先週、同僚と飲みに行った時に、「お前は母性が強いからな」と言ったら、本人にはそう言われたことがあまりにも意外だったらしい。

「こないだのはどういう意味だ?」と、聞くので、

「父性って、自分をきびしく見つめ、改善するということなんだよ。
お前、規則とか時間の約束とか、すご~く苦手じゃん。
自分にも、恐ろしく甘いし。

ようは、お前の中には、父性というものがないから、
のこっているのは母性だけだと言ったんだ。」

と言ってやった。

「消去法かよ!」と、ふくれていた。

何を期待してたんだ??

47都道府県

息子と47都道府県の暗記をしています。

私は、地理が苦手で、栃木と群馬、鳥取と島根は「どっちが右だっけ?」あと石川、福井、富山は、日本海側というざっくりした地理感のまま、現在に至っています。勿論、新潟なんて、漢字で書けません。

そんな親父の息子ですので、期待はしてなかったのですが、殆どの都道府県を言うことができました。それも、その地で一番有名な遊園地名と一緒に。

そう、わたしの息子は遊園地マニアです。
いつも、インターネットで日本国内はもちろん世界中の遊園地を検索してます。
入場料はいくらだとか、身長制限がいくつだとか、そういったことをとても良くしっています。

幼稚園のころからの夢は、「遊園地を作る」だったので、
もう何年も追い続けている夢なのでした。

今までは、家で遊園地の話をされると、もううんざりという感じでした。
「遊ぶことばっかり考えるな」
「こないだXXXへ行ったばかりだろう」
「そんな金どこにある」
「うるさい」
と、子供に言っちゃいけない言葉のオンパレード。

でも、今日で変わりました。
「息子よ。お前はすごい。その暗記力さえあれば、確実にパパは超えられる!」


・都道府県庁所在地、
・山地・山脈・河川・湖・湾

ここまで暗記しよう。
パパも、頑張る。
小学校の時、勉強してないので、こっそり暗記します。




2011年12月15日木曜日

友人のお母様が悪性脳腫瘍に。。

昨晩、友人から、お母様に悪性脳腫瘍が見つかったと電話があった。
余命半年、手術が成功しても1~2年。5年後の生存率はゼロだと宣告された。

ご本人には伝えないそうだ。

私の部下のお母様も、先週心不全で入院された。
こういった話が、まわりで多くなった。
それなりに、自分とその周辺が歳をとってきたということだろう。


2011年12月14日水曜日

中学受験

今、息子は小学4年生です。
公立の学校に通ってます。
私が卒業した学校でもあり、校舎も、教室も、体育館もそのままであり、授業参観などで行く時はとても懐かしく感じています。
このまま卒業すれば、同じく私が通っていた公立の中学校に行くことになります。
それはそれでまた、懐かしい思いをさせてくれるでしょう。

昨晩、息子が「私立の中学校に行きたい」といいました。
理由は、はっきりしないのですが、2年生の妹が私学に通っている影響だと思います。
これまで、娘の学校の運動会、学園祭などに連れて行ったなかで、自分には私立が合うんだいうのを感じたのではないかと思います。

小学受験は、息子の時は考えなかったのですが、娘の時は家内の意見もあり受験しました。
娘も学校見学に行き、その綺麗な校舎や制服を見て、一目ぼれという感じで、自らの意思も強かったです。私も、今後、中学や高校を受験するために、夜遅くまで塾に通わせたり、近所の中学の悪ガキどもを見ているので、娘は守られた環境で育てたいと思いました。

ただ、息子は男なので(当たり前ですが。。)、社会にでて、色々な人と接していくには、公立校の方がたくましく育ってくれると思っていたので、小学受験なんて考えてもいませんでした。また、息子は言葉が遅れていたので、小学校受験という選択肢もなかったと思います。

今でも息子は、成績が良い方ではありません。
先日の保護者面談で言われましたが、ちょっとロジカルな思考が足りないところがあります。
本人の希望で、塾に通い始めたのですが、一番下のクラスです。
はっきり言って、友達に合うために通っているくらいだと思っていました。

でも、私立の中学に行きたいという希望を持っていたようです。

わたしからは、

「中学受験は、親としてはする必要がないと思う。
しかし、本人がしたいというのであれば、それを止める気はない。
やるからには、真剣にやってもらいたい。

真剣にやるからには、いくつかの犠牲がある。
遊ぶ時間がなくなる。勉強時間が増える。親に経済的負担をかける。
この犠牲を、これからの2年間、途中で「や~めた」とほうり出さない覚悟があるなら、中学受験を許す。」

と伝え、息子もやりぬくと宣言しました。


まあ、これだけ子供に発破をかけたのだから、父親としても中学受験について、勉強を始めます。


2011年12月13日火曜日

人型寝袋

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この冬、湯たんぽに続いての節電アイテムをゲットしました。

「人型寝袋」。

ドンキホーテで、4,980円です。

足も手もチャックで閉められるので、熱が逃げるところがなく、
また、寝袋にくらべても体への密着感があるので、手足は温かいです。
フードは、使い物にならず、首元から寒さが侵入してくる感じです。

あまり厚着をせずに、この人型寝袋に入って寝ました。
朝方4時くらいに、部屋の中が5度くらいになるのですが、やはり首もとから寒くなり、
一枚布団をかけたくなりました。

スキーウェアを着て寝ている感覚なので、慣れるまでは寝た気がしないかもしれません。
布団や寝袋のような、包まれた安心感がなく、
どこぞかで、野宿している感じがします。

歩く時は、ずるずる下がります。
特に階段を上るときは、一歩あがるたびにウェアの中の足だけが上にあがってしまい、踏み込む度に丈を短く踏んでしまい、引っ張られます。太もものあたりをつまんで、足の部分が下がらないようにしないといけません。


災害時は靴下や靴もはかずに、このまま逃げればいいのですが、寝心地は布団や寝袋が良いです。

2011年12月12日月曜日

母性愛・父性愛について考える

子育てを通して、「母性愛・父性愛」について考える。
子供がいなかったら、まず考えなかったテーマだ。


私は、母性・父性とは以下のように考える。

母性とは: ありのままを受け入れる愛、
父性とは: 心を律する愛。。。つまり、しつけ、

子供を対象とした場合、
生まれてきてくれたことに感謝をし、ありのままを愛すのが母性で、
社会で生きてゆくために、心を上手くコントロールできるようにしつけていくのが父性となる。

母性は、決して母親だけのものではないし、
父性は、父親の専売特許でもない。

私の場合は、父性が強いが、それは、男だからだけではない。
実際に、女性も、どちらかというと父性が強いのではないだろうか?

「勉強しないと、いい学校にいけないよ。」
「頑張らないと、あの子に負けちゃうよ。」
「あなた(夫に対して)、しっかりしてよ。」

とか、相手に対して、しっかりとした自己コントロールを求めている。

父性が表面化するのは、今まで育っていた環境が、競争社会だったことが考えられる。
「あなたのことを思っていってるのよ」と、言いながら尻を叩く。
実際、そう思い込んでるし。

でも、父性だけであれば、いきつく先は、相手否定、自己否定だ。

「だから、あなた(私)はダメなのよ」って。



まずは、
「生まれてきて、今も生きている。それだけで、意味があるし、素晴らしい。」
ということを、受け入れてあげることが大切だ。

安定的で、絶対的な母性が基本。

「母なる地球」というように、
まさに、心の大地となるのが、母性。

その上に形成されていく心に必要なのが、父性。

根本的に自分自身に愛されているという自信を持っている子は、逆境に強い。
また、母性がベースにある人には厳しさの中に温かさがある。


私は、子育てをしながら、
自分の中の母性を覚醒し、
たとえ自分の子供であっても、
「この子は、自分自身のために生まれてきたのだ」
と尊重することの大切さを学んでいます。

結婚は必要?

会社の忘年会の後、前の会社の同僚と飲みにいった。
終電を逃した(というよりも、乗る気がなかった)彼につきあい、
朝まで居酒屋にいることとした。後、5時間はある。

彼は、色々と話たかったのだという。
何が出てくるのかと思えば、
案の定というか、予想通りというか、
「俺、どうして結婚できないのかな~?」と。。。。

彼は、私と同じ43歳。
結婚歴はないが、いままで付き合った女性は数人いる。
優しいし、良い男ではある。

ただ、10年以上の付き合いになるので、
悪いところを言えと言われればいくらでもあげられる。
勿論、そんなこと当人は十分承知しているだろうし、
これから5時間ダメだしをするわけにもいかん。

私の口から出たのは、
「お前には、結婚ってあまり大切なものではないんじゃないか?少なくとも今は必要じゃないから、目の前で起きないんだよ。」だった。

「そっかな~」で終わってくれと思いながら、言ったのだが、
「それってどういうこと?」と来た。

おいおい、43歳のオヤジが朝まで結婚談義かよ~。
となりの大学生に聞かれたら恥ずかしいぞ。
まあ、時間はたっぷりあるし、仕事の話は、忘年会で十分したし。。いいか。。。


結婚って、必ずしも幸せになるってことではないじゃん。
憎しみ合う夫婦もいるし、下手したら殺しあうこともある。
生まれも育ちも違うあかの他人が、一緒に暮らすわけだから、上手くいかないほうが当たり前。

よく結婚は、我慢とか忍耐とかいうけど、修行見たいな面がある。
その修行が、必要な人もいれば、必要じゃない人もいる。

修行の内容も夫婦によって違うし、
結婚という形の修行をしなくていい人だっている。

結婚は資格じゃないんだから、特に今の世の中、
結婚しなくちゃいけないなんてことはないと思うよ。

お前の場合、結婚という修行が少なくとも今は必要ないんだよ。



と、要約してみればそんなことを話た。
これをダラダラと、酔っ払いの特権である同じことを何度もで、朝まで話した。

5時になった頃には、お互い「待ってました」とばかりに家に帰った。
寒かったな~。

次の日、ぼんやりとした前夜の記憶追っていた。
昨日の会話にもどり、
「俺にとっての結婚ってなんだ?」
という自問自答がはじまった。

その内容は別の機会に書くとするが、10年目にして結婚について考える良い機会となった。

2011年12月8日木曜日

息子と風呂で

息子と風呂はいって、学校のことを聞いてみようと思った。
息子は、自分のことを話すよりも、私の子供のころの話を聞きたがった。

息子の通う小学校は、私も通っていた小学校で、当時のまま(31年前)殆どかわっていない。
前日の保護者面談で、息子の話を聞いているとき、タイムスリップして、私自身が、先生に教室で注意されているような不思議な気がした。

「人の気持ちを考えないで、見て思ったことをそのまま口に出す。」

息子{4年生)は、背の小さい5年生に「3年生みたい」と言ってしまい、5年生に上履きを隠されたりして、軽い制裁を受けたそうだ。「それは、イジメだ。」と先生は、逆に5年生を怒り守ってくれたそうだが、私が小学生のころはそんなことを上級生に言ったら確実にブッ飛ばされていただろう。

というよりも、ブッ飛ばされた。


私が、5年生の頃だった。
廊下ですれちがった6年生の女の子の顔に目立つアザがあった。
私は、何も考えず「シミがついてる」と本人に言ってしまった。
その場は何もなく、教室に帰ったが、次の休み時間には、その女の子の上級生が教室まできて、呼び出された。

女子からえらく怒られたあとに、男子からは散々蹴りをくらった。
それどころか、その6年生の担任に、ひっぱたかれ、
自分の担任からもひっぱたかれた。

「そんなに~」と思ったが、まあ怒られるのには慣れていたので、
いつもより、余分に怒られたな~くらいだった。

だが、その事件はそれでおさまらなかった。
その6年生の女の子は、登校拒否になってしまったのだ。

「もしかしたら、このままあの子は死んでしまうかもしれない。そしたら、お前は人殺しだ。」
と、先生に脅かされた。

この歳で人殺しになるのはかなわない。

学校帰り、なんとかその女の子の家を探して、あやまりにいった。
ピンポンしても、誰も出てきてくれない。

次の日は、その子のお母さんが出てきたが、「帰れ」と言われた。

謝っても許してもらえない。

この体験はきつかった。
子供の頃は、悪いことをしたら、何回か叩かれた後、あやまれば許してもらえるとおもっていた。
それが通用しない。

いままで、禿のおじさんに「禿ちゃん、こんにちは」といって、げんこつをくらったりしたが、
それでも、見たまま人のことを「デブ」だの「ちび」だの言いたい放題の子だった。

しかし、人は傷つけると、学校にもこなくなるし、死んでしまうかもしれない。もし、死んでしまったら、一生人殺しとして生きていかなくてはいけないとおもうと、恐ろしくて、恐ろしくて、眠れなかった。

2日休んで、その女の子は学校にきて、私の謝罪も受け入れてくれて、ことなく終わった。
しかし、これは本当に良い薬となった。


息子は、この話をきいて、思うことがあったようだった。


2011年12月7日水曜日

保護者面談

昨日、家内に誘われて、急きょ長男の保護者面談に行きました。
軽い気持ちで行ったのですが、問題があるようです。

1. 空気を読めずクラスで浮いてしまうことがある。
2. 聞かれている質問のポイントを見失うことがある。

実は、家庭でもわかっていたことなので、
今では、多少なりにも友達がいることや、本人は明るくやっていることで、
「このままで良い」と思っています。

「まわりの空気を読みなさい」と小学校4年生に指導する気にはなれませんし。。

ただ、この2つの問題は、「状況判断が出来ていない」ということから出てきている問題と思っています。状況判断というよりも、「論理的な考え」という方が正しいかもしれません。

「原因と結果の因果関係」の理解不足でしょう。
どうやって、教えていったらいいか、私も父親として色々と模索しようと思います。


2011年12月5日月曜日

湯たんぽと寝袋

節電ムードが継続しているこの冬の我が家のブームは、「湯たんぽ」である。
一人ひとつ湯たんぽを配布した。

食卓の下に、布をとりつけ、中にデロンギ・オイルヒーターの500Wを入れてコタツ風にして使っていたが、デロンギは電気代が馬鹿高いと聞いたので、足元にそれぞれ湯たんぽを置くことにした。

購入したのは、600円弱のオレンジの立てられるプラスチックのもの。
沸騰したお湯を入れても大丈夫だが、布なしでは熱すぎるので、沸騰前くらいが良い。
外気にもよるが、足元において3~4時間は温かい。
寝るときに布団に入れておけば、朝になっても暖かいので8時間くらいはぬくぬくだ。

お勧めの使用方法は、
足元とお腹を温めること。2つ必要だけど、体がぽかぽかして、ねむ~くなる。
お通じがよくなったとか、疲れがとれたという人もいるようだ。

そして、第2の節電は、「寝袋」。
3年前に、二つの家を行ったりきたりする生活があり、
いちいち、布団をもっていくのは面倒なので、寝袋にしてみた。

この体と一体化する寝袋は素晴らしい。
1. すぐに温かくなるし、はがれないのでずっと温かい。
2. 寝返りは打ち放題。でも、はがれない。
3. 包み込まれるような安心感がある。
4. 洗濯機で丸洗いできる。
5. 寝るとき以外にも、食卓、リビング、仕事机などで使える。

そして、この冬、湯たんぽと合体した寝袋は、心も体も、財布も(?)温かくしてくれるだろう。



NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争

2日間にわたり、「NHKスペシャル 証言記録 日本人の戦争」を見ました。

そこにあったのは、90歳を超える老人たちの悲痛な叫び声でした。

「出兵現地の母子を殺めてしまったこと。」
「敵兵の捕虜にならぬよう肉親を殺めてしまったこと。」
「村の若者を『死んでこい』と戦場に駆り立ててしまったこと。」

そして、「自分だけが生き残ってしまったこと。」

殆どの老人は、今まで戦争時について多くを語らなかったそうです。
思い出しては生きていけなかったのでしょう。
また、生き残って内地にもどっても、生き残ったことへの制裁を受けているような毎日だったいっています。
今でも自分の子孫が、繁栄していることにさえ負い目を感じ、素直に喜べないそうです。

インタビューで、
「殺すことを拒否できなかったのですか?」と聞かれ、

「拒否すれば殺される。戦争で殺されるのとはわけが違う。」
とポツリと答えていました。

命令に拒否すれば、「非国民」。
残した家族も、酷い仕打ちにあったのでしょう。

選択の余地のない「愛国心」に自分を置き、
非道なことも、「大義」の名のもとに、やらざる負えない。
しかし、終わってみれば、死ぬまで自分の心は苦しめられる。

そういった葛藤の中でも、日本を立て直し、子供を育て、命をつないでくれた
方々に、私は感謝します。

今ある命、そして妻と二人の子供をはじめ、家族、仕事仲間、友人を大切にしようと思います。

2011年11月25日金曜日

2011韓国に行ってきての感想

先々週、仕事で韓国に行ってきました。
インチョンのホテルで、商談会がありそちらに参加しました。
インチョンは、空港がある市で、ホテルも車で20分くらいです。橋をわたってすぐというところにあるラマダホテルで行われました。

この商談会は、世界中のバイヤーが招待され韓国ベンダーの製品の紹介を受けるという趣旨のものです。HWが殆どでしたが、台湾から韓国のゲームに目をつけてきたバイヤーも見受けられました。まる1日、30分ごとにベンダーが入れ替わり立ち替わりやってきてミーティングを行うのですが、韓国の企業も随分と英語がうまくなったということです。日本語を話す人は目に見えるようにへっています。今は、中国語を勉強する人が急増しているそうです。

日本でもそうですが、韓国でも「これからは中国」という雰囲気が定着してます。
裏切られても、騙されても、中国についていく姿勢は、日本以上だと思います。
やはり、歴史的なものなのでしょうか?

ただ、この執念深さというか、根性はいずれ花を開きグローバル社会で成功を収める韓国人は増えるだろうと思います。日本人もどんどん世界にでてチャレンジしつづける個人なり企業が生まれ続けてくれれば良いと思います。

芸能でも、グローバル化でも注目を集めている韓国ですが、
街や道路は、まだ汚いです。

人も、お洒落な人はみません。インチョンだからでしょうか?

道路もガタガタですし、建物もメンテナンスされてないものが殆どです。
ゴミもあちこちで捨てられています。

日本も35年ほど前はまだこんな感じだったかとおもいます。
道に花を植えたり、ガーデニングを楽しみはじめたのも、まだ20年程前だったと思います。

今では、ゴミを投げ捨てする人も減り、
タバコの吸い殻も、前ほど見なくなりました。
道行く人のために、庭先に花を植えたり、
道はいつでも掃除されていて綺麗です。

日本は、今、
経済的には、落ち込んでいるのかもしれませんが、
社会としては、とても成長していると感じます。

2011年11月24日木曜日

千羽鶴

小学生の子供達が、「千羽鶴で願いが叶うの?」と聞いてきました。


「成績をあげたければ勉強する。
何か上手くなりたければ練習する。
病気をなおしたければ、病院に行く。

千羽鶴を折っても、願いは叶わない。」

と教えると、

「そうだね」 
とあっさり納得しました。

それでも二人で折り続けているので、聞いてみると。

「おばあちゃんが長生きするように折ってるの」
との答え。

「それは良いことだね」
と、いいながら自己矛盾しました。

人の気持ちと、物事の効率は、必ずしも一致しないものです。

2011年9月26日月曜日

回転寿司での注文

昨日、お墓参りに行く途中で、家族で回転すしに入りました。
ウニの軍艦を注文しても、なかなかきません。
気づくと、前の席の人に取られてました。

気を取り直して再注文。
でも、前の席の人がとっちゃいます。

思わず「人の注文とっちゃだめだよ」と言いました。
中年のご夫婦だったのですが、とった旦那は何も言わず、
奥さんが謝ってました。

文句をいうと、やはりこちらも気分が悪いです。
言われた方も、いやでしょう。
一つ間違えば、喧嘩になる緊張感もあります。

その旦那さんは、店員になんか文句をいいにいったあと、
そうそうと出て行ってしまいました。
奥さんが席にきて、「すいませんでした」と謝ってくれましたが、
それでも私もおいしくお寿司を頂くことはできませんでした。

すると、また別の席の人が私たちの注文の品をとってしまいます。

こんなことは、他所の店でなかったので、原因を考えました。

私の席は、62番だったのですが、
注文したさらには、61番~63番のご注文商品という札がはって流されていました。

前の席の人は、自分の注文だと思ってとっていたのです。

システム的には、注文したものがとどきますと、画面に表示されるのですが、
目の前に、注文商品が流れると、間違って取ってしまうのでしょう。

店員に、そのことをいいました。
女の子は、原因を理解して謝ってくれましたが、
私も前のご夫婦も折角お金を出してお寿司を食べにきたのに、
嫌な思いをして、おいしく食べることはできませんでした。
私の奥さんも子供達も同じです。

寿司屋には、わかりやすいシステムでも、
お客さんが誤解しやすくて、
かつ、トラブルの要因となり、
食事を楽しめなくなるのは、ダメです。

食事の時に、嫌な気持ちになるほどいやなことはありませんし、
絶対健康にも良くないはずです。
毒を食べているようなもんです。

是非、改善してほしいです。

2011年9月7日水曜日

社員を育てることへの決意

サラリーマンを辞めて、数名の小さな、小さな会社の取締役となりました。
主たる事業もないまま設立から7年がすぎ、単年度でも赤字に陥った会社です。

周りからみると馬鹿な選択かもしれませんが、
私にとっては、『ワクワクするような冒険』です。

もともと独立を考えていたので、
ほそぼそながらでも7年間の社歴があり、無借金で、資本金もまだ残っているだけで、
私には、十分な勝算があります。

昨年度は、非常勤という形で、無償でしたが、新規事業を立ち上げ、なんとか単年度黒字にもっていきました。未曾有の大震災があり、かなりの不安がありましたが、御蔭様で、今年度は私の給与を支払っても黒字が期待できます。

ただ、驚いたのは社員のレベルです。
申し訳ないですが、想像以上に低いのです。
正直『解雇』の二文字が頭をよぎったのは、1回や2回ではありません。

酷い例では、客先にも、社内にも嘘をついて仕事をすすめており、
お客様からのクレームの電話で露見したこともあり、
その時のショックは大きかったです。
なんとかバックアップでリカバーし、お客様にも寛大なご理解を頂き、大事にはならなかったのが、幸いです。

このことをサラリーマン時代の仲間に相談すると、
「そういう社員は、変わらない。」
「雇用している自体が会社の信用を損なう。」
「他の社員にも悪影響を与える。」
と言う。

おっしゃる通りだろう。
私も、きっと同じことをいっていた。

ただ、今回私が考えたのは、
私がこの会社にきたこと、
そしてこの社員達とであったことの縁についてである。

私は、自分の周りに起きていることは、鏡の反射みたいなものと考えるので、
この縁も何か、意味があるものではないかと考えている。

そして、出た結論は、
「小さな会社は、優秀な人を育てるしかない」
ということだ。

大企業のように、「働きたい」という人が次から次へ来てもらえるわけでもないし、
リスクをみて、大目に雇用をし、そこからそぎ落としていくような、余裕もない。

私は、サラリーマン時代、それなりの部隊を任されていた。
その頃は、教育なんて甘い。
できるやつは、自分で勉強して、模索して、迷いながらも道を切り開いてくる。
会社や上司からの教育を期待している奴は、そもそも資質がない。

そう思ってきた。

しかし、「人は育てるんだ」と覚悟したとき、
「育てられるかどうかは、育てる側の人間の実力だ」
と思えるようになってきた。

私には二人の小学生の子供がいるが、決して良い父親ではない。
でも、愛情を持って育てようとしている。

会社でも、良い上司ではないし、良い大人でもないが、
社員達との縁を信じ、愛情をもって、教育していく。

親は子供に育てられるものというが、
まさに、経営者は社員によって育てられるものだと思う。

この心がぶれないよう、毎朝、毎晩、毎時間、
自己反省をして、楽しんで成長しようと思う。

静岡ホテルのパートナーの夕べ

昨日、静岡のホテルで、協力会社の集まるパーティー出席させて頂いた。

私は、仕事がらこの手のパーティに御邪魔することが多いが、
こちらのパートナーの夕べは好感がもてる。

何しろ、食事がおいしい。

通常、立食パーティだと並ぶだけでうんざりしてしまい、また、焼きそばとか揚げ物をずらっとならべた、安物バイキングみたいだと、乾杯がおわれば帰ってしまうこともある。

しかし、こちらのパーティは、種類が豊富で、どこから並んでも全ておいしい。また、人気の寿司やステーキなども、最初の時間をずらせばちゃんと残っていて、ご馳走になることができる。

流石に静岡だけあって、魚はおいしかった。
他の肉料理も、色々なソースで楽しむことができ大満足。

あと、ホテル役員の挨拶も、手短ではあるが感謝の心が伝わってきて好感が持てる。

こんどは、プライベートで家族で食事に行こうかな。
中華料理がお目当てです。

ゴミからわかる文化レベル

夏目漱石の「三四郎」の中で、三四郎が熊本から東京に出てくる列車の中、何度か窓から弁当などのゴミをすてる場面がある。

電車の窓からゴミを捨てる?!

今では全く信じられない光景だ。

ただ、数十年前は車の窓からゴミを捨てる光景は記憶がある。
車道の脇は、弁当やらカンが一杯捨ててあり、「ノーポイ運動」なんていうものもあった。

文化が発展してくるとゴミのマナーも良くなるのだろう。
20年前のNYはゴミだらけだったし、10年前の中国深せん市もゴミだらけで恐ろしいくらいだった。

心理学でいわれるのは、壊れた窓や壊れた車を放置しておくとその周辺の犯罪率は増えるという。
かけた茶碗や壊れた家具があると、やはり家族の心も荒んでくるのだろうか。

我が家の裏庭にも、よくジュースのカンがすててある。
そのままにしておけば、余計ひどくなる。
数年前に、通り沿いに花を上はじめると、ゴミを捨てられることが減った。

ゴミをそのままにしているか、
通行人のために花を植えているか、
そういったところからその地域の住民の文化レベルを知ることができると思う。

他人のためにも、自分達のためにも、町は綺麗にしたい。

2011年8月29日月曜日

民主党代表選を終えて

午前中は、ストリーミングで代表選に釘付け。
仕事にならなかった。

兎に角、海江田万里さんには、なってほしくなかった。

この人には、信念がないように思えたからだ。
原発が再開できないからと泣いてみたり、
3党合意を反故にする発言をしたかと思えば、
また、それを覆す演説をしてみたり。
小沢氏の操り人形というよりも、犬のようにしか感じられなかった。

最後の演説でも、何をしたいのか具体性がなかった。
「日本にとって最後の機会」などと言って、もしも、
そうだとしたら、この人にはますます日本を任せられない。

「責任は私がとります」というが、
一体どう責任がとれるのか?
サラリーマンの課長レベルが部下に酒場で言っているレベルではないんだ!

それでも、最初の投票では1位になり、
こんな人間に投票する議員に国を任せているのかと、つくづく情けなくなった。

野田さんが、どうかはまだ未知数だが、
とにかく、海江田さんにならなくて良かった。

そして、小沢氏の影が、また日本から薄くなったことに喜びを感じた。

これで、御情け万里劇場を見なくてすむ。

2011年8月25日木曜日

屋外広告の講習

東京都の屋外広告物講習会に2日間参加しました。
正直、本当に眠い2日間でした。
それでも、この分野は私にとっては新しいものだったので、学ぶこともありました。

印象的だったのは、デザインの授業のとき、
「屋外広告はその時代を反映する文化である。」という趣旨を、講師の方がおっしゃいました。

子供のころ、アメリカングラフティやサタデーナイトフィーバーの映画にでてくる、
あめりかの巨大なネオンサインは、憧れでした。
高校時代も、歌舞伎町の光の波の中で、興奮して遊びまくりました。

今では、大自然に身を置き、静寂を楽しむ方がいいのですが、
若い時は、やはりあの光の渦の中に身をおく、気持ちよさはこの上ありませんでした。

屋外広告は、下降の一途をたどっているそうです。
メディアの多様化、とくにインターネットの出現によって、そちらに宣伝広告費が流れるのでしょう。

地震や、ますます激しさをます台風、竜巻、雷雨、突風などの気候は、安全面から考えても
屋外広告には危険を感じます。

ただ、LEDや投影の技術も進化しており、屋内から屋外へ映し出す、または壁面に投影させる広告の在り方が増えてくるのではないかと思います。

デジタルサイネージは、なかなか普及しません。
それには、あの不細工な四角いパネルに縛られるデザイン性にも、問題があるのかも知れません。

新しい素材で、新しい形の広告媒体で、若者をワクワクさせ、街に活気をあたえる広告は、
今後も元気であってほしいものです。

2011年8月19日金曜日

小さい会社こそ人を育てよう。

小さな会社では、人材が限られています。

沢山雇用できるわけでもないし、優秀な人材がわざわざ履歴書持ってきてくれるわけでもない。

大企業のように、競争をさせて、脱落者を出すわけにはいかないのだ。
辞めさせても人が減るだけだし、脱落者の雇用を続ける体力もない。

だから、小さな会社では、その社員一人一人と同じ職場にいることを縁だと思い、
愛情をもって、育てていくしかない。言うならば、子供のようにだ。
いや、それ以上かもしれない。学校や塾、習い事など、他人に教育の一部を委ねるわけにもいかない。

それでは、どのように育てていくのか。
その答えは、会社によってちがうだろうが、
私の答えは、「考える力をつける」ことだ。
そして、自分の考えを、正確にかつわかりやすく相手に「伝える」力を養う。

では、どうやって?

今、注目しているのは、ロジカル・シンキングだ。
ロジカル・シンキングといっても、コンサルタントがよくつかう、
分析ツールを駆使することには、まったく興味がない。
時間の無駄だ。

必要なのは、
「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように」
を、考える癖をつけさせる。
そして、相手にわかりやすく伝える。

5W1H

中学の英語の授業でやったことだが、
これを日本語で徹底的に追及する。

すべての基本は、ここにあると考える。




2011年8月15日月曜日

お盆

我が家のお盆は、8月13日がお迎えで、8月15日がお送りです。
そして、8月16日に御墓参りをします。

送り迎えは、近くの沿道まででて、簡単な焚火をします。
その焚火を3回、家族全員でまたぎます。
焚火からロウソクをともして、提灯にいれて、家の仏壇までお迎えします。
お送りはこの逆です。

子供の頃からずっとやっていて、今では私の子供が提灯でお迎えします。
ただ、参加するメンバーは、子供の頃からくらべると、とても減りました。

祖父が生きていたころは、親父の兄弟6人とその家族があつまり、
子供も多かったので、お盆と言えばそれはそれは賑やかなものでした。
一人っ子の私は、夏休みはほとんど田舎にいてすごし、
兄弟が増えたようで、とても楽しかったです。

近所に名栗川があり、そこでは近所の子供達もあつまって、
岩に登って飛び込んだり、ロケット花火で戦争ごっこをしたりしました。
虫取りや、花火、鬼ごっこ、かくれんぼ、井戸でスイカを冷やしたり、
マキを割って、風呂を沸かしたりと、一日中やることがありました。
夜は、ドリフをみたり、怖い話をしたりと。

祖父母も亡くなり、その家には、未婚の叔母が一人で暮らしています。
また、兄弟同士、仲が悪く、私たち子供達も自然に疎遠となり、
今では、私たち長男の家族がこの行事を続けています。

仲が悪くなくても、それぞれの家のお盆があるわけですから、
そちらを優先して中々集まらなくなるのは仕方がないものかもしれませんが、
それでも寂しいものです。

幸い子供は二人おり、兄弟仲良くワイワイ遊びますので、一人っ子の私と違い、
寂しい思いはしていないようです。

昨日は、よく遊んでいた川に、二人を連れていきました。
川には、当時のように子供達は多くなく、家以外に一家族くらいです。
同じ川でも、他のポイントは車が乗り入れられてキャンプやらバーベキューやらでもりあがっていますが、このポイントは静かなものです。

人が少ないせいか、とても静かで綺麗です。
川の流れも当時より深くなっている感じがします。

子供達は、大喜びで、流れに体を任せて、流されていくのに大喜び。
奥さんは、川の事故を気にしますが、
川の色をみて、深さを覚えたり、水温の違いを感じたり、また、水中にある岩に足をぶつけて、
危険があることを知ったり、
子供達には、ある程度の危険と冒険が必要だと思いました。

子供たちもプールよりも楽しかったそうです。
子供達にも、この田舎が良い思い出となり、
大人になって、また子供達を連れてきて思い出してくれれば、
うれしく感じます。

こうした家族の流れが継続していることに、
ご先祖様に感謝をいたします。

2011年8月10日水曜日

ウォール・ストリート

1987年のウォール街の続編にあたるウォールストリートをDVDでみた。
チャーリー・シーンが演じたバド・フォックスも成功者として出ていてうれしかった。

前作の頃は、アメリカで大学生をしており、何度もこの映画をみながらファイナンスの勉強をしていた。
当時はバブル絶頂期で、日本人がゲッコーのゲストとして出演してた。

続編は、中国人が投資家としてでており、風説の流布も、インサイダー情報もかなりデジタル化していて、時代の流れを感じた。

サブプライムローンや、リーマンズショックの後で、背景としては2010年くらいだろうか。

前作をみた学生時代は、金融用語についていくだけでも、かなり難しかったか、
不動産バブル、ITバブル、ライブドアを経験し、自分も上場と倒産までまじかにみてきたので、
流石に今回は、よく理解できた。

そういう意味では、金融に関しては物足りないくらいだった。

しかし、ゴードン・ゲッコーは格好が良い。
マイケル・ダグラスは、本当に良い役者だ。

落ちぶれた感、その時のバド・フォックスにあったときの屈辱感、
カンバックしたときの高揚感など、実に見事な演技だ。

特に、ロンドンで散髪して、スーツをつくって、靴を買いにいくときの、ゲッコーは格好が良い。
もっと、派手に金持ち親父ぶりを楽しませてくれるシーンを見たかったな~。


2011年8月9日火曜日

子供達が韓国から帰国

8月7日、無事に韓国から子供達が帰国しました。
今回は、2週間の滞在です。
毎日、毎日遊び呆けて来たようですが、韓国語だけの環境で、親元を離れて異国の地にいるのは、
それだけでも大きな成長となると信じてます。

残りの夏休みは、宿題が待っています。
それでも、もう覚悟をしているのか、受け止めているようです。

子供達には、
「今を、今この瞬間を大事に、積極的な精神をもって成長し続ける」
ことを人生の方程式にしてほしいと願っています。

2011年8月6日土曜日

原発の日

今日は原爆の日です。
今年は、福島原発の事故もあり、特別な意味を持ちます。

原爆は人を殺すために作った爆弾で、
原発は人の生活をより便利にするためにある発電設備なので、
それは全くの別物である。

しかし、人間がコントロールできない核と、未知の放射能というものを、
使っていることには違いがない。

放射能はどのような影響がでるかも、病気との関連性も、治療方法もない。
特に、すでに内部被爆をしてしまった人たちの今後はどうなるのか。
被災地の復興のために、野菜や肉を食べてきたが、
本当にそんなことをしていていいレベルなのか?
被爆というものを簡単に考えすぎているのではないだろうか。


感覚器官を正確に使い、判断していかなかれば。

2011年8月3日水曜日

ワルツ

3/4拍子のワルツに苦戦中。

ハイハット踏むタイミングがガタガタになってしまう。
練習しているのは、2拍目にHHを踏むもの。
3拍から、1拍に戻るときに、ついついHHを踏んでしまう。

特にBDが入るとガタガタ。

Waltz for Debbyを口ずさみながら、何回もくりかえしエアドラムして、
体に染みつかせるしかない。

山を越えると、はやいんだろうけど。
それまで、じみ~に、やるしかない。

2011年8月2日火曜日

会社は生かされてるもの

人間が神様や、大自然に生かされているように、
会社は、お客様や市場に生かされている。

誠実さは、仕事の基本中の基本。

今日も、社員一同肝に銘じて、熱誠をもって仕事に赴く。
そうさせて頂いていることに、感謝です。

2011年8月1日月曜日

RCサクセション サマータイムブルース

ライブ帝国シリーズで、RCサクセションのライブを借りてきた。

今見ても清志朗とチャボは格好が良く、新しい。
あのスタイルは、まだ真似できるバンドも見たことがない。

最後の2曲は、サマータイムブルースとラブミーテンダー。
サマータイムブルースにはぶっ飛んだ。

原子力発電所に警笛をなりしており、
まさに、東海地震とその後の福島原発を予期していたような歌詞だ。

http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND29140/index.html

まさに、清い志を音楽にのせる伝道師のようだ。

今だからこそ、みんなに見てもらいたい。

http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do


愛し合ってるか~い

牛と鈴の音 韓国ドキュメンタリー

DVDで韓国ドキュメンタリー「牛と鈴の音」を妻と鑑賞。

老人は、左足が不自由な農夫である。
この老人の農作機であり、車であり、そして心の友であるのが、40歳になる老牛である。

他の農家は、耕作機械と農薬をつかうが、老人は、この牛と田畑を耕し、牛にやる草を守るために、農薬を使わない。足が不自由なため、這いつくばって、牛にやる草をとり、田畑を耕す。
老人の奥さんは、それをみて文句が絶えない。この老婆も、体力的にも限界なのだ。
いや、老婆は、老人の体を思い、仕事を辞めてもらいたいと思っている。

老夫婦には子供達がいる。子供たちからの仕送りをもらえば生活はなんとかしていける。
しかし、子供達に気を使って生きたくない。老人の思いだ。
老婆もそれをしっている。
そして、「この人が死んだら、私は生きていけない」ともらす。


「この映画を見て涙を流さない人は人間ではない」と言われている。

私は、涙が出なかった。人間ではないのだろうか?

私には、この老人が幸せに見える。
口うるさいが老人を愛情いっぱいで見守る老婆がいて、
愛情を一杯注げる牛とともに働き、歳をとっていく。
子供達に媚びることなく、与えられた命が続くかぎり、
もくもくと、牛とともに、自分の田畑を耕す。

機械や農薬を使わず、自分の信念をもって。

命が続く限り、生きていることが許されるかぎり、
愛情をもって、もくもくと自分の仕事に取り組めるのは、幸せなことだ。

2011年7月28日木曜日

夏目漱石 坊ちゃんにでてくる清

夏目漱石の「坊ちゃん」を読んだ。
この本は、小学生のころだったか、手にして結局読み終われなかったと記憶している。

一本気な青年が、四国松山の中学教師として赴任をし、巻き起こす騒動を描いた物語。
狸、赤シャツ、野だいこ、山嵐、うらなり、マドンナと、あだ名をつけられた登場人物が物語をさらに愉快にしてくれる。

坊ちゃんを子供のころから世話をしてきた老婆・清が心に残る。

どんなことでも、坊ちゃんをほめて、勇気づけて、一緒にいたいと愛情を素直にぶつける。
こうした清のような存在が、子供には必要だと思う。

我が家は、おばあちゃんと同居しているが、やはり10歳の長男には、エコひいきといってもよいほどの愛情をそそぐ。とにかく、ほめて、おだてる。子供は調子に乗りすぎるところもあり、それがもとで私に怒られることもあるが、そうやって自尊心をつけていくのがよいのかもしれない。

そして、坊ちゃんはいつのまにか清の正直さと綺麗な心を人生の手本とし、人生を歩む。

物語は、清が死んでしまうが、そのあと、坊ちゃんはどんな奥さんをもらったんだろうか。


人命にたいする敬意

テレビで、被災地を捜索する警察の方々に、敬礼を送る少年をみた。
マイクで「ありがとう」といって通りすぎる警察官。
少年は、最後の一台になるまで、敬礼を送り続けるという。

場面は変わり、北海道県警が側溝からこぶし大の被災者の遺骨を発見した。
うやうやしく包み、群馬県警に引き渡す。
群馬県警もこれを受取り、大切そうに車にのせる。
走り出す車にむかい、ズラッとならんだ北海道県警の方々が敬礼をして見送る。

被災し亡くなった方々に、精一杯の敬意をおくり、
遺族のもとに戻れるよう願い送り届ける心が、言葉がなくても、溢れ出している。

思わず、テレビに向かって手を合わせてしまった。

それにくればて、中国の高速鉄道の事故処理はひどい。

被害者にも、遺族にもなんの反省も敬意ももっていない。
車両を埋めたり、また掘り起こしたり。
叩きつけて渡すように慰謝料を決め、事故の原因調査も再発防止対策もそこそこ。

この差はなんだ。

日本も電力会社の隠蔽体質が明るみにでてきている。
それほど、威張れるものではないが、
日本国民の品格は、とても高いものだと、改めて実感した。

2011年7月27日水曜日

Steve Gadd UP CLOSE

アマゾンで、ドラムの神様スティーブ・ガッドの教則DVD 「アップ・クロース」を購入。
超ハイレベルで、見て感動して終わるだろうと思っていたが、
結構丁寧にやさしいフレーズを披露してくれる。

ほとんど、話をしているので、教則本としてはもの足りないが、
見ているだけで、ドラミングの幅が広がりそうだ。

随分古いDVDだが、学生時代は存在もしらなかったし、
きっと、高くて手がでなかっただろう。

今は、本当に楽器を始めるには恵まれている。

スコアも、動画もインターネットにはあふれているし、
ことドラムに関しては、電子ドラムの進化は、騒音問題を随分と解決してくれる。

その分、ミュージシャンのレベルもあがっているのだろうが、
それでも、スティーブ・ガッド、バディ・リッチ、イアン・ペイスは、今でも神だ。

今日は、飲み会だが、
明日は早く帰ってドカドカしよう。

2011年7月26日火曜日

亡くなる前に

18歳の頃、シアトルでホームステイさせてもらっていたファミリーのお母さん(日本人)が、あと3日もつかどうかという状態だそうです。

今聞いたので、行くにも短すぎます。

まだ、アメリカに日本人の友達がいたので、その人に手紙を託しました。
明日、病院に行ってくれるそうです。

最近、世話になっていた人たちが旅立つことが増えてきてます。
私の歳を考えても、子供達の成長を考えても、それも当然のことではありますが。。
幸い私は両親が健在なので、幸せです。

「親孝行したいときには、親はいない」と、よく言いますが、
いくら親孝行しても、その無念は残るものでしょうか?
きっと、残るんでしょうね。

よく亡くなった後に、弔辞をのべる場面を目にします。
でも、その人への思いは亡くなる前に伝えるのがいいと思います。
恥ずかしかったり、わだかまりがあったりで、
なかなか難しいことですが。。。

生きている間に、どれだけ愛しているか、どれだけ感謝しているかを、
なるべく多く伝えておきたいものです。

できれば、言葉や手紙で。。
少なくとも態度ではしめさないと。

それから、会いたいな~とおもったら、
会いに行くことです。

会えるのも生きてる間だけですから。

2011年7月25日月曜日

子供達は韓国に出発

昨日、富士山静岡空港より、10歳と7歳の子供達だけで韓国に旅立ちました。
子供達だけで、韓国にやるのは、これで3回目。

エアラインの人が、飛行機に乗るまで付き添ってくれて、
韓国でも迎えに引き渡すまで責任を持ってくれるので安心です。

料金は、ディスカウントはないので二人で11万6千円。
高いですが、これだけは続けられるだけ、続けてあげたいと思います。

韓国では、日本語をしゃべる人はいないので、良い韓国語の勉強になります。
プール、遊園地に行ったりして遊びまくるだけですが、帰ってくるたびに韓国語は上達します。

これから2週間、子供のいない生活。
寂しいですが、奥さんとの時間を楽しみます。

2011年7月22日金曜日

奥さん骨折

昨日、朝出勤の準備を終え子供たちとテレビを見ていると、
遠くで子供の叫び声がわずかに聞こえた。

子供たちは目の前にいるので、他所の子供だろうと思って聞き過ごしていた。

トイレにいくと、その叫び声は、風呂場から奥さんの叫び声だとわかった。
子供の声にそっくり。

鍵がかかっているので、なんとかこじ開けてはいると、
風呂のガラスのドアが外れて、奥さんの足の上に落下。

裂傷していて、はれ上がっている。
ドアの重さは40kg以上はあると思う。

ドアのしたの床が腐っていて、外れて落ちたらしい。

すぐに、病院案内に電話。
「今、先生の交代の時間帯なので、救急車でいったほうがいいですよ。」
と言われたので、手配をお願いしました。

すぐに、救急車と3名の隊員が駆けつけてくれた。

生まれて初めての救急車。
近所の人が集まるなか、奥さんにつきそい病院へ。

救急車の中でも、応急手当をしてくれて、
すぐに行き先の病院も決まった。

病院につくと、裏から救急室へ直行。
先生がすぐにレントゲンをとり、治療開始。

3か所、骨にヒビがはいっていたが、
幸いにも神経切断とかはなかった。
全治1カ月。

もし、自家用車で病院にいっていたら、
受付だ、順番待ちだで、大分待たされただろう。

救急車は本当に必要な人のためなので、簡単なことで呼んではいけないのは当然だが、
流石に早い。

その日は会社を休んで、奥さんが行く予定の娘の三者面談に代理で行った。

ママの心配で、泣いていた娘も、家で2時間勉強していると嘘をついていたことが、判明するとそれどころではなくなった。

帰りに弱点といわれた算数の文章題の問題集を買って、やらせました。

2011年7月19日火曜日

ドラムマニア

昨日は息子の10歳の誕生日。
家族で、ラウンド1に行って半日過ごしました。

ゲームセンターで、ドラムゲームを見つけた。
ドラムマニアといって、HH,スネア、HT,LT,シンバル、BDがあって、
でてくる表示にあわせて叩くもの。

本来のドラムとはかけ離れていて、イライラする。
ドラム譜にしてくれれば、もう少しましかも。

ドラムマニアは、ガラガラでしたが、
太鼓の達人は、人気だった。

何気に、結構速い16分叩いている子供たち。
すご~。

2011年7月14日木曜日

「こだわる」とは、良い意味の言葉ではない。

この製品に「こだわる」
「こだわりの一品」


など、「こだわる」という言葉を良い意味で使うことが多い。


しかし、本来は、
ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる。難癖をつける。」
という意味だ。


私は、「執着する」とか「こだわる」という言葉が嫌いだ。
「一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと」
だからだ。


心は囚われては生けない。
心はいつでも柔軟で、自由であるのが良い。
そして、川の水が流れるが如く、生きるのがよい。
石に刻みこむような生き方だめ。


目標を達成するには、
製品やサービスをより向上するには、
ドラムをもっと上手く叩けるようになるには、


努力が必要である。


それを表現する言葉は、
「追求する」だ。


今日は、家にかえったら、
マックス・ローチの「限りなきドラム」を追求しよう。


楽しみ、楽しみ。


勿論、お仕事も追求します。

2011年7月13日水曜日

幸せになるには

今朝、娘が神社からもらってきたお祓い用の小さいビニール袋に入った塩をもって、 
「これを持ってたら幸せになれる?」 
と聞いてきた。 

幸せになる方法 

この問には、何十年も悩んだ。 
お守りとか、占いとか、風水とかに頼ったり、 
そんな題名の本を読んだりと。。 

この歳になって、幸せになる方法の結論は、 

今、この瞬間を「幸せだな~」と思えるかどうか。 

今日も飯食えた、ビール飲めた、仕事があるとか、 
そういったことに感謝できるようになってから、 
今では感謝できることが一杯あって幸せだ。 

幸せになるには、 
「幸せだな~」とか、感謝することを一つでも見つける感性を磨くこと。 

娘には、 
「太陽がでていて幸せだね。」 
「空気が吸えて幸せだね。」 
「ご飯が食べれて幸せだね。」 
「お爺ちゃんとお祖母ちゃんが元気で幸せだね。」 
「パパとママが仲良くて幸せだね。」 
と、今幸せなことを教えた。 

「うん、しあわせ~」と納得。 

そして、もう一つ 
「幸せは、幸せだと思っている人のところに集まるように神様がつくってるんだよ。」 
とも、教えた。 

娘はますます幸せ。 

「銀の匙」には、しあわせは、「仕合せ」と書かれている。 
昔は、この字をつかっていたんだな。 

仕は、動詞「する(為る)」の連用形「し」の当て字だそうだ。 

仕合せとは、 
感謝することで、神様と波長をあわせること。 

今度は、こうやって教えてみよう。 


今日は、モーラー奏法の
左手の感覚がつかみかけてきて、
仕合せだ~。


右手とうまく
合わされば
もっと、仕合せ!!

「奇跡の教室」から学ぶ じっくり、しっかり

テレビで、元灘高の国語教師・橋本武さんの授業をみて、目からウロコ。 

スローリーディングの凄さをしった。 

橋本さんの授業は、中学校3年間の国語授業に教科書を使わず、中勘助の小説「銀の匙」を読み込むというもの。 

主人公の体験を追体験をするように、じっくり味わう。 
文中の言葉から、ドンドンと派生知識を追求し、それを調べたり、実際に体験するように、 
横道にそれていく。本当に理解することを教えるのだ。 

駄菓子がでてくれば、生徒に食べさせ。凧がでてくれば、実際に凧作りを行い飛ばしてみる。 

橋本さんは、学生時代に勉強したことが何も覚えていないことに気付き、 
 「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」という信念に至った。 

実際に、中勘助の「銀の匙」をアマゾンで購入し、読んでみた。 
出張中の新幹線で読み終わる。あらすじはわかった。 
これが普段の私の読み方。 

そして、橋本さんの授業について書かれた「奇跡の授業」を読んでみた。 

「銀の匙」の主人公の体験を理解していないこと、場面の情緒を味わっていないこと、 
知らないことをそのまま読み飛ばして、何も疑問を感じていなかったことに気づいた。 

この授業の凄みは、やはり橋本先生の情熱と努力、そして才覚がないと実現できないのではないかと思う。 

横道にそれる授業のために、毎晩徹夜でプリントをつくっていたらしい。 
どうしても分からないことがあれば、著者の中勘助氏に手紙を書いて、教えを請った。 

こういう素晴らしい師に出会えた「銀の匙」の子供達は、本当に幸せだと思う。 

そしてその子供達は、当時灘高からは進学率が低かった東大や京大に合格し、 
社会のエリートと呼ばれる人たちになっている。東大の総長もまさに、「銀の匙」の子だ。 

銀の匙の子は、壁を階段に替える力を、橋本先生から学んだという。 
つまり、困難にぶつかっても、調べ、考え、想像力をふくらませ、克服していくのだという。 

私は、国語は真面目に勉強しなかった。 
しかし、社会にでて、人間の能力は国語力に左右されるということは感じている。 

子供達にもじっくりと取り組むということを教えられたらと願う。


ドラムも速さだけを追い求めてはダメ。
じっくり、しっかりとそのアクセントを味わい、意味を考える。


どうして、Steve Gaddはこのフレーズを使ったんだろう。
どう乗ればいいのか。


学生時代には思いもよらないドラム練習方法をこの歳になると気づけたことが嬉しい。

2011年7月10日日曜日

西武遊園地プールとハウンドドッグ

今日は、西武園ゆうえんちのプール開き。
招待券があったので、子供達をつれて行ってきた。

すげ~混んでるのかなとおもったけど、
そうでもなかった。

去年の水着が入るの心配だったけど、
なんとかOK

西武園のプールができたのが、
高校生の時だったかな。
そのころの彼女が監視員のバイトをしたっけ。
中学校の時、NO1に可愛い子だった。

まさか付き合えるなんて夢にも思わなかったけど、
これもバンドやってたからかも。
ハウンドドックの大ファンの娘で、
コピーやってのが、でかかったかもな。

ハウンドドックが西武球場でライブやったとき、
OM君と、前夜球場に忍びこんで、
ステージにあがった。

なんか、証拠が残したくて、
二人で、ステージでおしっこしたっけ。

ライブ当日、大友康平さんが、花火の火薬がおおすぎて、
ステージの上で倒れたハプニングがあった。
大雨だったな。

ちょうど、俺たちのション便の上あたりで、倒れちゃって、
なんかヤベェ~ななんて、思った。

その話、監視員の彼女に話したら、
やらく怒ってたっけ。

あの頃のハウンドドックは、まだどこかに田舎臭さがのこっていて、
曲も洗練されてなかったけど、
ストレートな感じがよかった。

バラードは、もう、涙とか、アラキンとかあったし、
アップテンポでも、浮気なが
原宿のローラーチームでも踊られてたから
ブレーク要素は満載だったけど。

Rainy Lady 真夜中らLoveコール

FFとか前の、そんな曲が好きだった。

2011年7月7日木曜日

スティックの持ち方

スティックの持ち方をどれにするか。
マッチドグリップ?
レギュラー?
フレンチ?
いやいや、アメリカン?

レギュラーグリップなんて、絶対無理と思ったが、
なんか、プロっぽくてかっこいいなというスケベごころから、
レギュラーグリップでドラムを始めることにした。

やってる曲は、ロック、ハードロック、ヘビメタと、
絶対にマッチドグリップがいいんだけど、
周りがみんなその持ち方だったし。

実は、こいつジャズとかクラッシックのバックグラウンドか?
なんて、思わせたくてレギュラーにした。

パープルのリッチー・ブラックモアが、クラッシックを混ぜたギターソロやっているのをみて、
それがカッコよくて。。

高校卒業して、アメリカに行ったとき、
大学の授業では、
マーチングやJazzドラムは、必須だったので、
この時選択したレギュラーグリップは結果正解だった。

ただ、今20年以上経って始めるにあたっては、
マッチドグリップに変更。

理由?
巧いと思われたら、こまるから。。。

歳をとると、控えめになります。
本当は、持ち方なんて、ひとそれぞれで、関係ないけどね。

2011年7月6日水曜日

ドラムをはじめた動機

ドラムを始めたのは高校一年生の学芸祭がきっかけだった。
バンドのオーデションをやって、合格したバンドのみステージに上がれた。

友達と数人で、バンドを組んでオーデションを受けようということになったが、
楽器ができたのは、ギターのMだけ。それも、かなり下手。

しゃがれ声のK[がボーカルになり、ギターの彼女がキーボード。
ベースもはじめて、勿論私もドラムを目の前で見るのもはじめてだった。

子供の頃、日本太鼓を親父に教えてもらっていたので、それと似たようなものだろうと思っていた。
が。。。足元にペダルらしきものが二つある。

ベースドラムは、上にのっかったタムを載せておくための台だとおもっていたのに。。

ギターのMが、「8ビートなら叩ける」というので、教えてもらった。

ドンちゃん、ドンちゃん、

ハイハットは、訳がわからないので、とりあえず閉じてネジで固定した。

やったのは、
キャロルのファンキーモンキーベイビー
ハウンドドックの嵐の金曜日

丸井のスタジオに、学校帰りによって、数回やってみただけ。
どうしようもないので、ベードラも踏むのもやめて、
チチタン チチタンと、チョーごまかしの8ビートにした。

オーデションの日がきた。
結果は、勿論 失格。

その日で即席バンドは解散。
ついでに、つきあっていた彼女とも別れてしまった。

学祭当日、合格したバンド達は、キャーキャー言われながらステージに登る。
ボーイとか、パープルとかやっていたと記憶。

学祭がおわりキャンプファイヤー。
そこで、別れた彼女が、合格したバンドのギターと一緒に手をつないで歩いているではないか。

ふか~く、傷ついた。
信じられなかった。
でも、周りからみるとシンプルな事実。。。。


これは、バンドやって見返すしかない!!

ドラムをやった動機は、

そう、

モテルためでした。

2011年7月5日火曜日

気分はグルービー

ドラムをカタカタやってると、高校時代を思い出します。

当時「気分はグルービー」というバンドの漫画がありました。
高校時代のバンド三昧生活には、この漫画がピッタリでした。

キーボードの寿子ちゃんに憧れて、バンドに女子のキーボードをどうしても入れたかった。
でも、現実は寿子ちゃんとは、ルックスも腕も程遠い子しか集まらなかった。

一方、ドラムの憲二よりも、ボーカルの奥田隆の、いい加減さと、甚兵衛とかのファッションセンスに妙にはまりました。おもしろいTシャツも着ていたような、記憶が。
今では、漫画も遠い過去に捨て去ってしまったので、読みなおすこともできませんが。

このバンド名、「ピテカントロプスエレクト」

なんで、類人猿なのなんて、当時は思っていましたが。

チャールズ・ミンガスのアルバムからとっていたんだろうと思います。
Jazzですね。

漫画なので、実際に演奏していた曲というのはわかりませんが、
パープルやったり、ビートルズやったりと、統一性はなかったような?

また、読んでみたいな、「気分はグルービー」。

電子ドラムの進化にビックリ

学生時代に叩いていたドラムも、社会人になってのアパート暮らしでは、すっかり遠ざかってしまい20年以上たった。

子供がピアノの楽譜が欲しいというので、数十年ぶりに楽器屋さんに行ったら、電子ドラムの展示ばかり。生ドラムは、見当たらない。

しょぼい音出すんだろうなと、子供にイタズラで叩かせてみたら、
結構いい音出すんでビックリ。

久々に叩いてみると、楽しい、楽しい。
なんで学生時代にこれがなかったんだ。いや、あったけど酷いものだった。
センサーと音源の技術革新だな。

店員さんも、在庫処分価格でというので、
子供に「やってみた~い」と言わせて、奥さんを説得。

我家に、TD-4K2-Sが来ました。

子供達は案の定数時間であきてしまい。
晴れて私のオモチャになりました。

高校時代の教本とキックペダルを引っ張り出して、叩くと、リズムがガタガタ。
でも、感が戻るのが予想以上に早くて、

「何だ、まだ叩けるじゃん」

いや、かえって、力が抜けてオトナっぽい叩き方になってる。

これ、力みすぎで伸び悩んでいたところ、超えられるんじゃないのと、
希望まででてきた。

グルーブ感覚はすっかり衰え、数年前のヘルニアの後遺症でしびれが消えない右足ではあるけども、

無趣味で働き続けてきたオヤジには、素晴らしい贈り物だ。

富士山のあたりで40歳越のオヤジたちが暴走族みたいな音たてて走ってるけど、
気持ちはそれと似てるんだろうな。

ビール飲みながらメトロノームにあわせてカタカタしてるのは、
他人様に見せられたものじゃないけど、

仕事とか家族とか以外に、自分の時間を埋めてくれるものがあるって
やっぱりいいね。